先祖が神として祀られる地で|東儀秀樹(雅楽師)
1300年も雅楽を継承している「東儀家」の先祖は、聖徳太子の参謀だった秦河勝とされている。なので、聖徳太子や秦河勝にまつわる場所や歴史事にはいつでも興味をそそられてきた。法隆寺や広隆寺、蚕の社などを訪れると、他人事とは思えないほど何かしらの想いが湧き出る。
秦河勝は多くの大陸文化、つまり音楽や宗教、機織り、酒造、建築法などを伝え定着させた人物で、文化人でもあり政治家でもあった。しかし太子が世をさった後、京都太秦を本拠地としていた河勝は蘇我氏からの迫害を避け、兵庫県の瀬戸内海に面した坂越という地にたどり着き、八十余年の生涯を終える。
坂越には大避神社という立派な社があり、秦河勝が祀られている。毎年10月12日に大きな祭りが行われるが、この日は秦河勝の命日と伝えられている。そして同じ10月12日に、僕は生まれた。
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ずいぶん前のことだが、河勝没後1350年の大祭に雅楽を奉納するという、東儀家としての大切な体験をすることができた。海を見下ろす神殿のある浜から数百メートル離れた小さな無人島に秦河勝の墓がある。遠くの空から木漏れ日が鬱蒼とした茂みを照らす中、その墓前で静かに篳篥を演奏した。時間の感覚がなくなり、どれくらいそこで吹いていたのかわからなくなり、一瞬どこかへ行ってしまったような気持ちのよい錯覚につつまれたのを記憶している。
二日間続くその祭りでは、神輿が小舟に運ばれて小島を往復するのだが、雅楽を演奏する「楽船」もそれに寄り添って往復する。その船でも演奏し、浜の近くに浮かぶ船の上では舞も舞った。これらの行為が千年以上も続けられてきたのかと思うと、とても静かに熱くなる。そして地域の人たちがみなひとつになって絆を感じる大事な伝統儀式が、太古から繰り広げられていることにも心を動かされる。
夕方に差し掛かると、船から月を眺めながら雅楽を奏でる。月の光をキラキラ反射させる波、遠くに光る数十の篝火。何世紀も変わらぬ幽玄の光景である。河勝もこの光景を見ていたのか。自分の先祖が神となって祀られている神社や土地には、他ならぬ想いが感謝となって膨らむ。自分のしていること、おかれている状況、歴史、血、様々なことに思いを馳せ、自然と溢れてくる涙で篳篥を吹く唇が緩んだ。
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ところで僕は、音楽の分野でもジャンルにとらわれずロック、クラシック、雅楽となんでも演奏する。そして音楽ばかりでなく、絵も描けば工芸作品も創る。発明じみたこともする。秦河勝という人物も広く深くなんでもこなし、広めたという。
命日と誕生日も重なるし、雅楽師だし、もしかしたら彼の血が千数百年たった今、僕の中で熱く再燃して何かをさせようとしているのか、何かを伝えさせようとしているのか……もしかしたら僕は彼の生まれ変わり? などと勝手に妄想して楽しませてもらっている。
文・東儀秀樹