《大根侍》兼好法師が描いた珍奇な物語|『続 中世ふしぎ絵巻』
兼好法師の著した『徒然草』の第六十八段に、おもしろいけれど奇妙な話が書きとめられている。場所は筑紫とあるから九州北部と考えたらいいのだろうか。そこに押領使を務める武士がいた。押領使とはおもに平安中期以降、諸国に設置された官職で、国司の指令を受けて盗賊などを追跡し捕らえることを役目としていた。
この押領使が土大根つまり大根を好物として万病に効く薬と信じ、毎朝二本ずつを焼いて食べていた。現代の焼き大根なら多くのレシピがあるが、そこは鎌倉時代の押領使。しかも薬として食べていたというのだから、小形の大根を丸ごとか、あるいは輪切りにしたか、要はただ囲炉裏の火などで焼いて食べていたのだろう。
ある日のことである。彼の館が敵に襲われた。押領使と言っても元は在地の領主であるから、常日頃、周囲の領主たちとの紛争をも抱え込んでいたのだろう。まずいことに敵襲を受けたとき、館には彼以外に人がいなかった。おそらく敵方は、彼の家中が出払ったところを狙って襲ったのだ。降りかかる刃を払いのけながら、彼は討死をも覚悟したに違いない。ところがである。日ごろ見たこともない、つまり彼の郎党ではない二人の兵が、突如として館の奥から現れたのである。彼らは命を惜しまず戦った。その覚悟に恐れをなしたか、敵方は追い散らされ、とうとう逃げ去ってしまった。
大根、押領使を救う
あなた方はいったい誰なのですかと問う押領使に対して、この二人の兵の返事が秀逸であった。彼らはこう答えたのである。私たちは大根です、と。これがもし現代の舞台演劇で演じられているのなら、大根侍のその言葉を受けて、観客たちが皆のけぞるところだろう。朝な朝な押領使が薬と信じて食べ続けた大根が、生命の危機に際して彼を救ってくれたという訳なのだ。兼好法師は、深く信仰していればこのような御利益もあるのだろうとまとめているが、現代人なら納得できない、何とも奇妙な読後感を残す話ではある。
大根の報恩譚という人もいるが、恩返しがテーマではない。一人の押領使が薬効を信じて食べ続けた大根のパワーが、敵襲による討死の危機に際し、彼の体内から躍り出て、強力な兵となって彼を救う。信じればこそ、がテーマなのだ。
『徒然草』の作者である兼好法師はひねくれ者である。遁世の覚悟をハイテンションで語るかと思えば、ほっとけばいいのに、常に上から目線で未熟な者への批判を皮肉交じりに繰り返したりする。じつは私は若いころ、兼好法師が苦手だった。遁世者にしては偉そうな人なのである。そもそも本物の遁世者ならこんなエッセイは書かないだろう。世俗を遁れるには好奇心の強すぎる人なのである。過去に武者として王権に近侍したという噓か本当かわからないプライドを隠さず、美しい王朝物語の断片を、夢見るような筆致で書きつける遁世者。彼がもし会社の上司なら若い部下はストレスがたまって仕方がないだろう。
兼好法師のシニカルな視線
『徒然草』には珍奇な不思議話もいくつか記されている。ただその不思議さを素直に楽しもうとすると、たまに肩透かしをくらうことがある。たとえば五条内裏の妖物の話(第二三〇段)。五条大宮にあったこの邸宅は亀山天皇によって里内裏*として利用されていたが、今風に言えばお化け屋敷であったらしい。あるとき、殿上人らがそこで碁を打っていると、そっと御簾をあげてのぞきこむ者がいる。誰だ? とみなが振り向くと、狐が人間の女官ででもあるかのように、なかをのぞいていた。兼好法師によると、これはどうやら狐の失敗譚であるようなのだ。女官に化けそこなった狐は殿上人に威嚇されて逃げ出さざるをえなかった。いやいや、狐に女官に化けるつもりなどなく、暇な狐が食でも求めて部屋の中を覗いただけだろうと、単純な私などは思うのだが。
あるいは猫またに怯えた連歌法師の話(第八十九段)。山奥に棲息すると思っていた恐ろしい猫またが、じつは都会にもいると聞かされ震え上がった連歌法師は、夜中に帰宅しようとして獣に襲われ、川に転げ落ちてずぶ濡れになってしまう。ほうほうの体で自宅に転げこんでみると、猫またと思った獣は日ごろから彼によくなついていた飼い犬であった。兼好法師の狙いは、存在そのものが不確かな化物に怯える人間の滑稽さであり、化物そのものを語ることにはない。
そういう精神の持ち主であるなら、彼はなぜ大根の大立ち回りを衒いもなく書きとめることにしたのだろう。「死を軽くして、少しもなづまざる(気にしない)」(第一一五段)という、彼のもと武者としての気概がそうさせたのか、はたまた彼もまた焼き大根が好きだったのか。彼の食卓に焼き大根がのぼっている情景を私は想像してみたいのだが。
だ 大根侍が戦ってる!
敵をたおして 見得を切った
おお かっこいい で おいしそう!
西山 克=文 北村さゆり=画
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