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《大根侍》兼好法師が描いた珍奇な物語|『続 中世ふしぎ絵巻』

常識では考えられない不思議な出来事や化物、妖怪の登場が頻発した中世という時代を、怪異研究の第一人者、西山克が、時代背景からわかりやすく解説。さらに数々の小説の挿画でおなじみの日本画家、北村さゆりが描く「絵巻」が、あなたの眼前に中世を現出させます。前作同様、クルッと回して読むちょっとかわった装丁も魅力的な大人の絵本続 中世ふしぎ絵巻(西山 克・文/北村さゆり・画)より抜粋してお届けします。

続 中世ふしぎ絵巻

兼好法師の著した『徒然草つれづれぐさ』の第六十八段に、おもしろいけれど奇妙な話が書きとめられている。場所は筑紫つくしとあるから九州北部と考えたらいいのだろうか。そこに押領使おうりょうしを務める武士がいた。押領使とはおもに平安中期以降、諸国に設置された官職で、国司の指令を受けて盗賊などを追跡し捕らえることを役目としていた。

この押領使が土大根つちおおねつまり大根を好物として万病に効く薬と信じ、毎朝二本ずつを焼いて食べていた。現代の焼き大根なら多くのレシピがあるが、そこは鎌倉時代の押領使。しかも薬として食べていたというのだから、小形の大根を丸ごとか、あるいは輪切りにしたか、要はただ囲炉裏の火などで焼いて食べていたのだろう。

ある日のことである。彼の館が敵に襲われた。押領使と言っても元は在地の領主であるから、常日頃、周囲の領主たちとの紛争をも抱え込んでいたのだろう。まずいことに敵襲を受けたとき、館には彼以外に人がいなかった。おそらく敵方は、彼の家中が出払ったところを狙って襲ったのだ。降りかかるやいばを払いのけながら、彼は討死をも覚悟したに違いない。ところがである。日ごろ見たこともない、つまり彼の郎党ではない二人の兵が、突如として館の奥から現れたのである。彼らは命を惜しまず戦った。その覚悟に恐れをなしたか、敵方は追い散らされ、とうとう逃げ去ってしまった。

大根、押領使を救う

あなた方はいったい誰なのですかと問う押領使に対して、この二人の兵の返事が秀逸であった。彼らはこう答えたのである。私たちは大根です、と。これがもし現代の舞台演劇で演じられているのなら、大根侍のその言葉を受けて、観客たちが皆のけぞるところだろう。朝な朝な押領使が薬と信じて食べ続けた大根が、生命の危機に際して彼を救ってくれたという訳なのだ。兼好法師は、深く信仰していればこのような御利益もあるのだろうとまとめているが、現代人なら納得できない、何とも奇妙な読後感を残す話ではある。

大根の報恩譚ほうおんたんという人もいるが、恩返しがテーマではない。一人の押領使が薬効を信じて食べ続けた大根のパワーが、敵襲による討死の危機に際し、彼の体内から躍り出て、強力な兵となって彼を救う。信じればこそ、がテーマなのだ。

『徒然草』の作者である兼好法師はひねくれ者である。遁世とんせいの覚悟をハイテンションで語るかと思えば、ほっとけばいいのに、常に上から目線で未熟な者への批判を皮肉交じりに繰り返したりする。じつは私は若いころ、兼好法師が苦手だった。遁世者にしては偉そうな人なのである。そもそも本物の遁世者ならこんなエッセイは書かないだろう。世俗をのがれるには好奇心の強すぎる人なのである。過去に武者として王権に近侍したという噓か本当かわからないプライドを隠さず、美しい王朝物語の断片を、夢見るような筆致で書きつける遁世者。彼がもし会社の上司なら若い部下はストレスがたまって仕方がないだろう。

兼好法師のシニカルな視線

『徒然草』には珍奇な不思議話もいくつか記されている。ただその不思議さを素直に楽しもうとすると、たまに肩透かしをくらうことがある。たとえば五条内裏だいりの妖物の話(第二三〇段)。五条大宮にあったこの邸宅は亀山天皇によって里内裏さとだいり*として利用されていたが、今風に言えばお化け屋敷であったらしい。あるとき、殿上人てんじょうびとらがそこで碁を打っていると、そっと御簾みすをあげてのぞきこむ者がいる。誰だ? とみなが振り向くと、狐が人間の女官ででもあるかのように、なかをのぞいていた。兼好法師によると、これはどうやら狐の失敗譚であるようなのだ。女官に化けそこなった狐は殿上人に威嚇されて逃げ出さざるをえなかった。いやいや、狐に女官に化けるつもりなどなく、暇な狐が食でも求めて部屋の中を覗いただけだろうと、単純な私などは思うのだが。

*御所以外の邸宅を、一時的に天皇の在所とすること

あるいは猫またに怯えた連歌れんが法師ほうしの話(第八十九段)。山奥に棲息すると思っていた恐ろしい猫またが、じつは都会にもいると聞かされ震え上がった連歌法師は、夜中に帰宅しようとして獣に襲われ、川に転げ落ちてずぶ濡れになってしまう。ほうほうのていで自宅に転げこんでみると、猫またと思った獣は日ごろから彼によくなついていた飼い犬であった。兼好法師の狙いは、存在そのものが不確かな化物に怯える人間の滑稽さであり、化物そのものを語ることにはない。

そういう精神の持ち主であるなら、彼はなぜ大根の大立ち回りをてらいもなく書きとめることにしたのだろう。「死を軽くして、少しもなづまざる(気にしない)」(第一一五段)という、彼のもと武者としての気概がそうさせたのか、はたまた彼もまた焼き大根が好きだったのか。彼の食卓に焼き大根がのぼっている情景を私は想像してみたいのだが。

だ 大根侍が戦ってる!
敵をたおして 見得を切った
おお かっこいい で おいしそう!

西山 克=文 北村さゆり=画

【参考資料】
佐竹昭広・久保田淳校注『新日本古典文学大系39 方丈記 徒然草』(岩波書店)

西山 克(にしやま・まさる)
東京都生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得。京都教育大学名誉教授。東アジア恠異学会前代表。著書に『道者と地下人―中世末期の伊勢』(吉川弘文館)、『聖地の想像力―参詣曼荼羅を読む』(法蔵館)、『地獄への招待』(編著・臨川書店)などがある。

北村さゆり(きたむら・さゆり)
静岡県生まれ。多摩美術大学大学院修了。日本画家。装画に山本兼一『利休にたずねよ』、今村翔吾『羽州ぼろ鳶組』シリーズなど。新聞連載挿画に宮部みゆき『迷いの旅籠』や今村翔吾『人よ、花よ、』がある。2021年には藤枝市で特別展を開催。
北村さゆりホームページ kitamurasayuri.jp

続 中世ふしぎ絵巻
西山 克・文/北村さゆり・画(ウェッジ)

<本書の目次>
【奇の章】鵺の森/カラカラ/猫また/天狗が化けるとき/ささやきの橋 /龍、飛ぶ/狐狸のいる風景/時を告げる雌鶏/付喪神共同体
【願の章】漂流する霊木/蜘蛛の糸/家族の肖像/越えてくる神/帰る神/伝源頼朝像/大根侍/老貴族の夢/騎乗する女神
【祟の章】河原院の鬼/地獄の樹/火車/怪異は踊る/死霊の祟り/金輪の恋

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