見出し画像

百日紅が咲くと思い出す街|藤岡みなみ(文筆家)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第15回は、文筆家でラジオパーソナリティなども務める藤岡みなみさんです。かつて暮らしていた深大寺じんだいじ周辺の素敵な思い出を綴ってくださいました。

引っ越しが好きだ。この3年で3回引っ越している。

新しい暮らしの楽しみといえば、散歩コースの開拓だ。
まだ通ったことのない道を初めて歩く時、とても興奮する。絶妙なフォントのクリーニング店などを見つけたりすると、思わずガッツポーズしてしまう。ブロック塀の隙間から鼻を出している犬、アルミ缶で制作された大量の風車、ぬいぐるみも売っているお豆腐屋さん。そういうものを見つけると、大当たり!と叫びたくなる。こんないいものがあるなんて。この街に引っ越してきてよかったと感じる瞬間だ。

特に忘れられないのは、深大寺エリアに住んでいた頃の散歩だ。東京・調布市深大寺は緑ゆたかな街で、植物園が有名なだけでなく、造園会社や植木畑も多い。うれしくなって、近所を散歩するたびに知らない花や木の名前をひとつひとつ覚えていった。今思えばあれは「植物留学」だったなと思う。

越してきたのは百日紅さるすべりが咲く頃。百日紅は調布市の花でもある。乙女の袖口のようなフリルの花びら。伸びた枝の先に集まって咲いて、重みで垂れ下がっている。歩道側にぐわんと枝垂れた姿が、歩いている私に興味を持って首を伸ばす動物のよう。

金木犀はせーの、で香るのだろうか。あ、いい匂いと思った日、遠くで暮らす友人からも「金木犀の香りがした」というメッセージが送られてきた。雨が降ると一気に落ちて残念だけど、そのあとに出現するオレンジカーペットがみごとだ。この上を歩けるのは長くても2、3日。特別な映画祭に招待されたみたい。

秋が深まってくると、あちらこちらのお宅の庭で柚子や柿が実った。実るまで気付かなかったけれど、あの木も、あの木も、柿の木だったのか。さすがに一般家庭では消費できない量とみえて、「ご自由にお持ちください」と書かれたカゴを置いている家もあった。

無人販売所が多かったのも最高だった。どんな場所に住みたい?と聞かれたら、駅チカでもリバーサイドでもなく、「無人販売所が多い地域」と答えるかもしれない。調布に住んでいた頃、よく白菜やホウレンソウ、生姜のような見た目のキクイモを買った。散歩の帰り、白菜を赤ちゃんのように抱いて歩くと誇らしい気分になる。すれ違う人全員に「50円だったんですよ!」と自慢したい。ハーブや花の無人販売所もあり、クリスマスリースの材料や梅の枝を買ったりした。いつも散歩と無人販売所が、他のどんなものよりも先に季節を教えてくれた。

ツリフネソウ、シュウメイギク、セリバヒエンソウ。水辺の野草はかわいい。名前を知るまでは通り過ぎていたのに、ひとたびその美しい響きを覚えると無視することができなくなる。花の名前を知ることは世界をもっと鮮やかにすること。もう別の街に引っ越してしまったけれど、いまでも私の散歩には深大寺の記憶が埋め込まれている。この先どこにいても、百日紅が咲くとあの街を思い出すだろう。

文・写真=藤岡みなみ

◇◆◇ 藤岡みなみさんの近刊 ◇◆◇

パンダのうんこはいい匂い』(左右社、2022年)

パンダ好きが高じて四川省でパンダ飼育員体験、四川省出身の義母が洗面台に泳がすフナ、ラスベガスで生ハム地獄、首吊りショーで生き死にを考え、映画を作っては他者の身体を想像する。海外での体験のみならず、暮らしの中での「異文化」をユーモラスに綴る、著者初のエッセイ集!

藤岡みなみ(ふじおか・みなみ)
文筆家・ラジオパーソナリティなど。時間SFと縄文時代が好きで、読書や遺跡巡りって現実にあるタイムトラベルでは?と思い2019年からタイムトラベル専門書店utoutoを始める。異文化をテーマにした新刊エッセイ『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)発売中。

▼この連載のバックナンバーを見る

最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。