見出し画像

イタリアの山の上、人口1000人の村の夏|イスタンブル便り 特別編

この連載イスタンブル便りでは、25年以上トルコを生活・仕事の拠点としてきたジラルデッリ青木美由紀さんが、専門の美術史を通して、あるいはそれを離れたふとした日常から観察したトルコの魅力を切り取ります。人との関わりのなかで実際に経験した、心温まる話、はっとする話、ほろりとする話など。今回は、イタリアからの特別編・第2弾をお送りします。

朝の光の溢れるタイアフェッリ邸の鎧戸をひとつひとつ閉め、最後の鎧戸が閉まると、部屋は真っ暗になった。

今、ギリシャに向かう船の中でこの原稿を書いている。

夏季は特別編としてイタリアからお届けしている「イスタンブル便り」。
前回のトピック、ヤニグロ音楽祭の舞台となった山の上の小さな村、今朝あとにして来たモンターガノのことを書いてみたい。

かれこれ20年以上毎年、夏をこの村で過ごしている。
キリスト教の大祭、フェラゴスト(聖母被昇天祭)のある8月、村は祝祭の空気に満ち溢れる。宗教とは関係ないが、毎日日替わりで、小さなお祭りが続くのである。

8月15日はキリスト教聖母被昇天の大祭。タイアフェッリ邸付属の教会の聖母マリア像を村人たちがボルゴの教会まで担いで運ぶ。

「フルオ・パーティ」「ピッツァ・パーティ」「昔の結婚式 展覧会オープニング」「大道劇 モリーゼ 物語の大地」「モンターガノのトマト祭り」……。
今年のラインナップはざっとこんな感じだ。食にダンス、音楽、美術、歴史、哲学や文学。ほぼ毎日、8月終わりまで続く。そもそも、わたしたちがこの村で音楽祭、と思いついたのは、この祝祭の空気があったからだった。

テーマはさまざまでも、共通している点がある。
主役は村の人々、つまり、自分たち自身、というところだ。

たとえば展覧会「昔の結婚式」。

村役場ロビーの展覧会場入り口では、アンティークの花嫁衣装を着た15歳の少女二人がお出迎え。

村の女性二人の企画、村の各家庭から提供された結婚記念写真が展示物。1930年代からついこの6月まで、結婚したカップルの今昔をたどるものだ。自分たちの、友達の、そしてその父母、祖父母までさかのぼった結婚記念写真が展示された。訪れた人々は、あなたはこれ、わたしはこれ、と、大盛り上がり。

あの時はああだったわよね、と写真を前に盛り上がる人々。

都会の大きな博物館で開催されるようなものではない。
人口1000人の村、そこで生まれ育ち、ほぼ全員知り合いという環境だからこその賑わいである。だが同時に、ここ100年近くの家族の歴史、ファッション、村の暮らしや風景の移り変わりが反映されている。知らない人の結婚式でも、見て面白いのである。大きな視点に立ってみれば、歴史とはこのような無数のエピソードから成り立つものだ。
誰のためにするのか。美術史家としては、「展覧会」というものの意味を考えさせられもする。

自分の人生で、主人公は自分自身。
村のお祭りは、じつに愛すべきそのスタンスで貫かれている。

たとえば、「ゴーカート競争」祭り。

思い思いの工夫を凝らした手づくりのゴーカートで速さを競うゴーカート祭り。

山のてっぺんの尾根に沿って、頭の大きな蛇のような形に広がるモンターガノ村は、造りからいえば典型的なイタリアの村といえる。もともとは頂上部分、一番高いところで最初の居住が始まった。山賊を避けるためで、中世から続くボルゴだ。くねくねと入り組んだ道はいつも綺麗に掃き清められ、立ち並ぶ家々の表情もさまざま。歩いていると迷路のようで楽しい。

18世紀ごろになって、州都カンポバッソの方角に尾根伝いの直線道路が開かれた。コルソ(「背骨」の意)と呼ばれる目抜き通りで、イタリアのどの街にもある、近代になって作られた中心街のことだ。余談だが、巡り巡って明治の東京にできた銀座の目抜き通りも、発想としては同じである。ここは村だから、端から端まで見通せるし、歩いて5分もかからないくらいの距離だ。

モンターガノのコルソは、村の入口の教会から、突き当たりのボルゴに向かって、緩やかな下り坂である。ゴーカート祭りは、この坂道をうまく使ったものだ。村人たちが手作りの乗り物を作り、坂道を勢いよく下って速さを競う。時間を計測するレフェリーや盛り上げ役の解説者もいて、本式なのである。村役場へ行けば無料で材料が支給され、子供も大人も工夫を凝らしたカートで大変盛り上がる。

村の入り口にある教会からボルゴに向かって、緩やかな坂道になっているコルソをゴーカートで勢いよく下る。

お父さんと一緒に作ったカートで出場する女の子、同じカートで自分も出場するお父さん。村人たちはみんな顔見知りなので、ギャラリーも参加者も一緒になって、それぞれを応援するところがとても微笑ましい。

ある晩、このコルソで「わんこと飼い主」祭り(命名は筆者による)があった。
コルソにレッドカーペットが敷き詰められた。にわかに華やかな雰囲気になったいつものコルソ。ライトアップされ、何事が起こるのか? と見ていると、村に住む犬が、それぞれの飼い主と一緒にその上を歩くのだという。と言っても、優良種を競うコンクールではない。評価基準は「犬と飼い主の唯一無二の関係性」。大勢のギャラリー(といっても、村人である)の前で解説者がマイクで、その犬と飼い主の出会いやエピソードを紹介していく。審査員は観客(つまり、村人)である。投票してグランプリを決めるのだ。

「犬は飼い主に似る」というが、よく言ったものだ。レッドカーペットを歩く犬と飼い主を見比べると、それがよくわかる。傑作だと思うのは、平凡な日常の風景が、レッドカーペットという非日常のなかでスポットを当てられる、その視点の転換である。
前を通るたびに吠えるから嫌だと思っていた犬。その犬は、ある雨の朝、びしょ濡れで飼い主の庭で発見され、それが出会いだったそうだ。エピソードを聞いて、その日から見る目が変わった。人生、ならぬ、犬生の背景の物語が、想像できるようになったからだ。

人も犬も、それぞれ物語を持っている。
それがある時点で出会い、重なり合う。当たり前のことだけれど、そのことに柔らかに気づかせてくれる、愛あふれるお祭りなのだ。

インカンティーアーモチ(「ワイン蔵で会おう!」)は、村と人々の暮らしを発見させてくれたお祭りだ。

普段は見られない家々の地下に隠されたワイン蔵を訪ね歩くのは、秘密を覗く楽しみ。
ワイン蔵にはそれぞれ、工夫を凝らした飾り付けが。
ワインの搾りかすのぶどうの種と皮で覆われたチーズ。地元産のワインによく合う。

料金を払うと食券と地図、ホルダーに入ったワイングラスがもらえる(ワインなしのコースも選べる)。参加者は、オリエンテーリングのように家々のワイン貯蔵蔵(カンティーナ)を訪ね歩きながら、アペリティーヴォ(食前酒に合わせるおつまみ)から数種類のプリモ、セコンド、ドルチェ(デザート)まで、郷土料理とそれに合うワインの組み合わせを味わう。

参加料金を払うともらえるワイングラスを差し出すと、陽気なお兄さんたちがワインを注いでくれる。
オリエンテーリングのように次の地点に行くと、食事のコースに合わせてワインに合う郷土料理が。これは挽きトウモロコシとフダンソウの料理「ムパニッツァ」。滋味溢れる味。

中世にさかのぼる居住区ボルゴには、石造りの家々が立ち並ぶ。その一階や地下の基礎部分は、厳しい冬を生き延びるための食物 (およびワイン)貯蔵庫となっている。

通りや玄関のそこここが、秘蔵のレース細工で飾られる。
見慣れたはずの街角に昔の道具が並べられ、タイムスリップしたような気分になる。

村に滞在すると言っても、他人の家の中を次々に覗き見るなどということはできない。ふだんはできないそんなことが、このお祭りの時だけ可能になる。そういう秘密の喜びのようなものがある。解放されたワイン蔵は、昔のワイン作りの道具や秘蔵のレース細工などで飾られる。見慣れたはずのボルゴの一角が、幻想的な空間に様変わりする。そうして訪ねた先で、ワインや料理を提供してくれるのが、顔見知りのニコリーノやコンチェッタだったりするのが村のいいところだ。
村と味の発見である。

「ボルゴのお祭り」は、中世から続く村の開祖の伝説を、村人たちが中世の装束を着て再現する活劇だ。中心人物は別にして、リハーサルをするでもない。見ていた人がその場で「僕も参加したい!」といえば衣装を貸してもらえ、なんとなく参加者になれるところも緩やかなのである。

中世にさかのぼる村の開祖を再現する活劇。これは、開かれた村へ入植する人々の行列。
市場が開かれるいつもの村の広場が、中世の空間になる。

*  *  *

「ねえ、村にDJが来るんだって!」

そんな祝祭が、コロナでなくなってしまった。
やっとひと段落して、初めての夏の今年。ティーンエイジャーの娘に幼馴染のフランチェスカから連絡が入った。村には同い年の友達グループがある。人口1000人の村、州都の町に近いこともあり、住民の年齢層は幅広い。しかしどちらかといえば、高齢者と幼児のいる若夫婦が多数派である。
村に高校がないこともあり、子供が高校生くらいになると、それに合わせて家族で都会に引っ越すという話をよく聞く。 パオロ騎士の幼馴染、ガエターノのところもそうだ。

そんなわけで、ティーンエイジャーにはあまり楽しみがない。
「ここで何ができるっていうんだ、何にもない村だ」
お祭りがあるといっても、上記のようなものはティーンエイジャーにとって面白いわけでもないらしい。

夕方、村の広場ピアッツァに白いテントが設置され、なにやら準備している人たちがいる。
どんなものだか、見てみようか。夜10時から始まるというので、夕食後でかけてみた。

まだ誰もいない。
ピアッツァに面した教会前はライトアップされ、青や緑の光で照らされている。ビートの効いた音楽が低く流れ始めた。
でも、飛び跳ねているのは子供たちだけだ。

「チャーオ、モンターガノ! 元気かい? いつものピアッツァがディスコになった気分はどう?」
DJから呼びかけられ、活気が出始めたのは、11時過ぎからだろうか。どんどん人が増える。ピアッツァは人でいっぱいになった。バースタンドもいつのまにか大行列である。

ポストコロナの復活、近隣の村や州都カンポバッソからも若者たちが集まったDJパーティ。朝3時まで続いたが、今年は近所からの苦情はゼロだったそうだ。

ピアッツァを見渡せるテラスに登ると、バスの運転手のパオロがやってきた。
「ねえ、すごいじゃない? こんなに若者がたくさんいるなんて」
「うん、カンポバッソとか、近くの村からも来てるよ」
「このお祭り、誰がオーガナイズしたの?」
「村の若者たちだよ、あ、ほら」

みると、若者がやってきた。 背中に「VIVERE MONTAGANO(モンターガノを生きよ)」と黒に白抜きされたTシャツを着ている。

「ねえ、そのTシャツ、写真に撮らせてくれる?」というと、「ほら、じっとして。」とバス運転手のパオロがアレッサンドロの背中を押さえてくれた。横から伸びているのはパオロの手。

アレッサンドロという名前の彼に聞くと、「ああ、みんなのリーダーはあいつだよ、あの縞のシャツ着た子」
「ねえ、紹介してよ」

* * *

翌日、DJ祭りをオーガナイズした言い出しっぺ、ニコラにあって話を聞いた。
北イタリアの大学を卒業したばかりという彼は、この村の出身。コロナの期間中、村にある実家に帰り、リモート授業を受けた。他にも同じような仲間がいた。そして、あまりにも楽しみがない日常に嫌気がさして、何かしようと思ったのだという。

DJ祭りの言い出しっぺ、ニコラと仲間のクラーラ。

「最初はサッカーのトーナメントやったんです」
「あ、覚えてる、去年の夏やってたわね」
「それで、村のサッカー場も全然手入れされてなかったから、自分たちで掃除して」

その流れで、ディスコパーティを企画しようということになったのだそうだ。7人で50ユーロずつ出し合い、DJを呼んで来てバースタンドを作り、飲み物を売った。
「そしたら、だいたいトントンだったんです」
助言してくれる人がいて、アソツィアツィオーネ(協会)を作って組織にした。その名前が「VIVERE MONTAGANO(モンターガノを生きよ)」だ。非営利の活動である。今年はプロのDJや照明技師を呼んで来て、より本格的になった。参加者も格段に増えた。

ディスコパーティだけでなく、他にも企画する。
「トマト祭りもやったんですよ」
トマト生産者(といっても、ほとんどの村人がそうだ)と、村の地場産業、トマトソースを作る会社との共同企画である。
山の上の村では、独特のトマトの育て方が守られている。痩せた土地で肥料をやらず、ある一定の期間を過ぎると、水もやらないのだそうだ。自然が与えてくれるものだけ、厳しい環境で育ったトマトは、味が凝縮されている。

モンターガノのトマトは、水も肥料もやらず自然から与えられたものだけで育てる。こだわりトマトを育てるヤニグロ一族のミケランジェロは、晴耕雨読の画家でもある。
各農家から地元のソース製造所に集められたトマト。
手塩にかけて作られたトマトソースのシンプルなパスタは、絶品。

村の名人に頼んで、郷土料理の販売もした。
「最初は作り方を教えてもらって、でも、最終的には自分たちだけでできるようになりたい。イヴェントの時は大変です。いつも、仲間と喧嘩になります」
郷土料理の伝承やお祭り企画の文化は、形こそ違え、確実に受け継がれているようだ。

「将来は、どんなことがしたいの?」
「大使になりたい。無理かもしれないけど……、ローマで国際関係の修士号をとるつもりです」

意外な答えが返ってきた。
都会で大学を卒業した若い世代は、夏には帰省するが、そのまま都会や外国に生活の基盤を移す人も多い。コロナがなければ、村での暮らしに注目することもなかったというニコラ。生まれ育った小さな村の良さに気づき、楽しみを作り出すことと、大きな都会や外国で活躍することは、矛盾していない。その意味では、コロナの困難は若い世代に新しい価値観をもたらしたとも言える。

* * *

「今年はやっとお祭りが戻って来たわね。ほんとに嬉しい。毎日何のお祭りをするか、どうやって決めるの?」
郷土料理カーチョ・エ・ウォーヴォ(「チーズと卵」、チーズと卵入り団子とグリンピースの煮物)をみんなで食べる会があった晩。階段に腰掛けていた村長のジュゼッペと話した。
「夏が始まる前に、希望者全員で集まって、役場で打ち合わせをするんだ。どの日に誰が何をするか、ってね」「お祭りは誰がオーガナイズしてるの?」
「 お祭りごとに色々。モンターガノはアソツィアツィオーネ(協会)活動が盛んなんだ。近隣の他の村と比べても多いよ」
人口1000人の村で、11団体あるという。

「有名な観光地はイタリアにいくつもあるけど、ここはそういうのとは違うのよね。ひとりひとりの顔が見える感じがするのが、ほんとうに魅力的」
「そう見える? 僕たちにとっては、いつもやっていることをしているだけなんだけどね」

照れ臭そうに笑った。ローカルであることが、グローバルな価値を持つ。
そんなことを思わせる、山の上の村の夏である。

文・写真=ジラルデッリ青木美由紀

ジラルデッリ青木美由紀
1970年生まれ、美術史家。早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。トルコ共和国国立イスタンブル工科大学博士課程修了、文学博士(美術史学)。イスタンブル工科大学准教授補。イスタンブルを拠点に、展覧会キュレーションのほか、テレビ出演でも活躍中。著書に『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』(ウェッジ)、『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』(思文閣)を近日刊行予定。
筆者のTwitterはこちら

▼この連載のバックナンバーを見る


いいなと思ったら応援しよう!

ほんのひととき
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。

この記事が参加している募集