初夏を彩るカキツバタ “重ねの構図”で能舞台を演出|花の道しるべ from 京都
最上位の紫を花色に持つ高貴な花・カキツバタ
深みのある紫の花色とみずみずしい緑の葉のコントラストが美しいカキツバタ。5月頃に湿地に群生するアヤメ科の植物で、燕子花もしくは杜若の字を当てる。京都には、大田神社、平安神宮、勧修寺など、名所も多い。
古書には、「太陽と月が向かい合ったとき、紫雲がたなびく」と書かれており、紫は日月和合の色として最上位に位付けされている。かつて、中国の皇帝は紫を好み、自分以外がこの色を使うことを禁じたと言う。
最上位の紫を花色に持つカキツバタは高貴な花であり、軽々しくいけてはならない、と伝えられている。まず身を清め、その場を清浄にしてから、この花に向き合うべきだ、と。実際、カキツバタをいけるには高度な技術が必要で、葉蘭、水仙と共に、いけるのが難しい「葉物の三難物」と呼ばれる。高さ40cmほどの小さな作品を1ついけるだけなのに、初心者なら3時間ほどかかる。普段の稽古が1時間くらいだから、教わる人も教える側も、かなり根気がいる。
未生流笹岡とカキツバタのつながり
未生流笹岡とカキツバタとの縁は、二代家元である祖父の代に遡る。戦前生まれの祖父は、有事の際に、花を育てることができなくなって稽古が続けられず、文化が途絶えるのではないかと憂い、自分の手で花を育てようと考えた。そこで選んだのが、技術を磨くのに相応しいカキツバタだった。祖父が畑を求めて城陽に赴いた折、「家元が自分で育てるのは難しいでしょう、私が育てます」と言って下さったのが、流派の名誉目代をつとめていただいている杜若園芸の岩見良三氏。四季咲き種のカキツバタを各地の畑で栽培することにより、今でもほぼ一年を通して、良質のカキツバタを私たちの元に届けて下さる。
爾来、祖父はカキツバタを流花と定め、いけばな展でも頻繁にこの花を用いるため、いつの頃からか「かきつばたの笹岡」と呼ばれるようになった。「いつかは、カキツバタを上手にいけられるようになる」というのが、未生流笹岡のいけばなを志す者にとっての一つの大きな目標である。
“重ねの構図”のいけばなで能舞台を演出
2017年に重要文化財に指定された宇治の松殿山荘*で、その空間の魅力を広く知っていただこうと2014年から5年間、古典文化サロン「花と能」を開催した。その初回のテーマが「杜若」だった。
舞台は「大書院」。東向き30畳の広間で、三方がガラス戸になっており、宇治の山を借景とした庭園が広がる。花は、床の間を飛び出し、書院の中央にいけることで、三段階の自然をご覧いただこうと考えた。床の間側から眺めれば、近景には人間の手が極限まで入ったいけばながあり、中景はやや人の手が入った庭、遠景にはほぼ手つかずの自然である宇治の山々を望む。襲の色目*のような自然のグラデーションを皆さまに体感していただく趣向だ。
私のいけた花を舞台装置に見立て、能楽師の林宗一郎氏が「杜若」*を舞う。シテ(主役)は杜若の精だが、無心、つまり心がない。ではどう演じるのかと尋ねたところ、杜若の精は、在原業平が歌舞の菩薩の化身として現れたものだから、業平になったつもりで演じているのだという答えが返ってきた。業平―歌舞の菩薩―杜若の精。能楽にも重ねの構図が見られるようだ。
さらに当日、上七軒の老松さんがおつくり下さった主菓子の銘は、「唐衣」。業平が愛した高子后 のまとった装束を意匠化したもので、袖のついた着物に見える。
そして、唐衣と聞けば、私たちは高校の古典の授業で習ったこの歌を思い浮かべる。
この和歌は、五七五七七の冒頭の文字を繋ぐとカキツバタが現れる「折り句」の技法で知られる。見方を変えれば、この菓子の意匠、花弁が3枚下がった杜若にも見えてくるという仕掛けだ。和菓子にもまた、重ねの構図が見つかった。
重ねの構図を持つ日本文化が、さらに掛け算して新しい文化を生み出す。感染状況も落ち着いてきて、ようやく世の中も動き出してきた。そろそろ、こうした楽しい試みも再開したいものだ。
文・写真提供=笹岡隆甫
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