原住民族をめぐる歴史と喜怒哀楽が織りなす人間ドラマ『GAGA──哈勇家』|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。
「おじいちゃーん! おじいちゃーん!」
山のなか、祖父を探しまわるタイヤル族の少年たち。祖父が仕掛けた罠にかかったイノシシを捕まえたものの、少年らは祖父を見失ってしまった。ここは、遥か遠いむかし、大岩から生まれ出た男女の子孫らが、それぞれの暮らす土地を探して三方に分かれて行った分水嶺である。季節は冬。雪が降り、辺りの森や草木、渓流が白く染まっていく。何も知らずにこの映画を観始めたひとは、まさかこれが「南国台湾」で撮られた映画だと思わないだろう。
映画の舞台は、台湾東部の宜蘭市内から車で2時間ほどの「南山部落」*である。海抜1200メートル、台湾の真ん中を背骨のように走る中央山脈の山あい、肥沃な宜蘭平野をながれる蘭陽溪という大きな河川の源流あたりに位置する南山部落は、台湾原住民タイヤル族**が人口の殆どを占める。
この土地に先祖代々暮らしてきたハヨンの一家が、この物語の主人公だ。山の上に暮らす大家族をめぐる心温まるコメディ・ドラマ、一見そんな風にも見える。しかしじっくりと物語のひだに目を凝らせば、そこには多様な文化と複雑な歴史をもつ台湾ならではの、異なる民族や世代間の文化衝突や、原住民族をめぐる様々な問題が丁寧に埋め込まれている。
台湾の原住民族は、経済的に恵まれない家庭が少なくない。居住地の多くが過疎地で地域産業に乏しいこともあるが、もうひとつ、清朝統治時代・日本統治時代・戦後の中華民国統治時代と常に被植民者として利用され、独自の伝統文化や言葉を奪われて差別を受けてきた歴史があり、そうした社会構造は今も続いている。
監督である陳潔瑤は、前作『只要我長大』において、山間過疎地のタイヤル族の子供らの厳しい現実を描いた。子供たちの親は都市部に出稼ぎに出ていたり、アルコール中毒であることも少なくない。過酷な環境と長閑で美しい台湾の山間部の風景を対比させつつ細やかに子供たちの成長を描いたこの作品は、米国アカデミー賞の外国語作品賞台湾代表にも選ばれた。
そして今回、陳監督の長編3作目にあたる『GAGA』は「日本文化」「キリスト教」「中華文化」など圧倒的な文明の力を背景に外部の影響を強く受け続けてきた原住民の歴史脈絡のなかで、時代の変化をみつめ、現代社会において原住民としていかに生きるのかを描いている。それは子供たちに託した希望でもある。本作により原住民出身の女性監督として初めて「金馬奨」の最優秀監督賞を受賞した陳潔瑤監督が、授賞式で語ったつぎの言葉に心打たれた。
「私はタイヤル族の映画監督ですが、以前の文化では、成人したタイヤル女性は必ず織物を上手に織れねばなりませんでした。私は織物を織ることはできません。でも幸運なことに、現代の私は織物の代わりに映画で自分たちの物語を語ることができるのです」
多くのキャストが芝居経験のない一般人にもかかわらず演技が自然なのは、こうした監督の心持ちにも根差しているだろう。第59回金馬奨で6項目ノミネートし、最優秀監督賞と最優秀助演女優賞を獲得、先日行われたばかりの第25回台北映画祭では、11項目ノミネートし最優秀作品賞、最優秀新人賞、最優秀編集賞を獲得した。以下、映画のあらすじを追いつつ解説を試みよう。
南山集落に暮らすハヨンとアマーには、二人の息子がいる。長男バサンの娘アリは、ニュージーランドへワーキングホリデーに行っている。弟夫婦のあいだにはイーアイとイノーの二人姉弟がいる。3世代3世帯がいっしょに暮らすハヨンの家は、部落の領袖を代々務めてきた。
タイトルの「GAGA(ガガ)」とは、タイヤル族の精神の核となる思想のことで、内容はイレズミや貞操・家族観念から種まきや狩猟、宗教、他集団との付き合い方まで多岐にわたって行為を規定するもので、長い時間をかけて培われた自己の集団を永続的に保つための知恵の集積と思われる。ハヨンはこの映画の中でそうした「ガガ」を体現するような村の長老的存在だが、ある朝アマ―が寝所に行くとハヨンは眠るように亡くなっていた。
ハヨン亡きあと、一家には様々なトラブルが降りかかる。まずは、ニュージーランドから帰ってきたアリの妊娠が判明し、「ガガ」により厳しい貞操観念をもつ一家は大騒ぎとなる。
さらに、ハヨン一家が長年耕してきたキャベツ畑の3分の1が、行政の区画整理によって他家の土地の登記下にあったことがわかる。キャベツで生計を立てるハヨン一家にとって、これは大変な痛手であった。バサンは地域の郷長(日本でいう町長)に訴えるが、登記簿にそうあるから仕方ないと取り合ってもらえず、敗訴してしまう。かつてタイヤルの「ガガ」における土地の売買は、口頭でお互いの了承を取り交わしたあと、族人内の家族会議で決定されるものだった。そうしたタイヤルの伝統に則れば土地は明らかにハヨン一家のものにもかかわらず、近代文明的な「法律」に照らせば、異なる結果が出る。このように、映画のなかでは伝統規範と現代社会のルールがビリヤードの玉のようにいたるところでぶつかりあう様が描かれる。
長い間、部落の有力者であった家の面子を立てたいと、長男のバサンは次回の郷長選挙出馬を決める。最初は、選挙には莫大な金が掛かると家族から大反対を受けるが、恋人の協力も得て方々で選挙資金を工面し、なんとか家族の了解を得る。
一方で、アリの恋人アンディ(=中国語を話せない中国系移民)がニュージーランドから部落を訪ねてくるが、アリの妊娠をアンディは知らない。
花婿がやってきたと部落中が大騒ぎ。アンディは友人として歓待を受けていると思い込むが、いつのまにかタイヤルの伝統に則った結婚式の主賓となってしまう。結婚式でハヨン一家は豚を何頭もほふり、選挙運動も兼ねて集落の人々に分配する。これも「ガガ」に則ったものだが、現代的な目線で見れば、これも「賄賂」にあたってしまう恐れはある。
慣れない豚の塩漬け生肉を無理やり口に入れられ吐きだしてしまうアンディだが、恋人アリの家族らの文化を受け入れようと努力し次第に打ち解けていく。やがて恋人の妊娠を知ったアンディは驚きつつも、ニュージーランドで子供を一緒に育てたいと言う。アリの心は揺れるが、ひとまず故郷に残って家族のもとで子供を産む決心をする。
それから、ハヨン一家は総出で部落のなかを選挙カーで走り回り、夜は集会を開いて渾身の選挙活動を繰り広げる。ライバルは、かつて仲間でもあった現・郷長。さあ、運命の投票の日、バサンはみごと当選を果たせるだろうか?
ピラク、チヌナヌ、ウットフ ―― 神の美しく織り成したるもの。
「ウットフ」とはタイヤル語で霊や神を意味する。日本統治時代、原住民医療に一生をささげ、キリスト教の台湾山地伝道を志して現在「山地伝道の父」とも称される井上伊之助は、タイヤル族にとっての織物をこのように表現した。
本作『GAGA』もまた、歴史という横糸と、家族の情や人生の喜びと悲哀という縦糸でさまざまな文様を浮かび上がらせる一枚の織物のようだ。12月の山地とはいえ南山部落に雪が降るのは、毎年のことではない。だから雪は、タイヤルにとって神の祝福を意味する。図らずも撮影中に降ってきたという奇跡のような雪は、まさに「ウットフ」から映画へと贈られた祝福といえるだろう。
映画終盤に、近所の子供たちとハヨン家の最年少男子・イノーの台湾華語で交わされる一見ユーモラスなやり取りは、映画を観終わったあとも心に重く横たわる。
子供:2月のお正月(旧暦正月のこと)には本当の新年が来てまたお年玉がもらえるね。
イノー:本当のお正月ってなんだよ? あれは平地人(漢人)の新年だろ、馬鹿だなあ!じゃあタイヤルの新年がいつか知ってるか?
子供:お正月なんてあるの? 知らない。
イノー:秋のアワの収穫が終わったときだよ、知らないのかよ? そのあとに来るクリスマスはキリストの誕生日だろ。
子供:1月1日にも正月あるじゃん!
イノー:あれは日本人の正月だろ、馬鹿だなあ! お前ら本当に何も知らないな、おばあちゃんに教わってないのかよ……。
映画は最後、祖父ハヨンが愛した「たきび小屋」で火に薪をくべるイノーの姿で終わる。そこにパチパチと燃えるのは、タイヤルの文化を繋いでいこうという想いだろう。イノーはこれから、現代社会にあわせ自分たちなりの「ウットフ・ガガ」を仲間と共に編み出していくのだろう。そう、監督が織物の代わりに映画を見つけたように。
文・絵=栖来ひかり
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