成木屋の蕎麦(静岡県伊東市)|柳家喬太郎の旅メシ道中記
学生時代、落研にいました。一時世間をにぎわしたジャパン大学です。僕がいた商学部のほかにもいくつかの学部に落研があって、OB・OGの噺家もたくさんいる。このN大卒の仲間たちと、2006年から12年間、静岡県伊東市の「蕎麦寄席」にうかがってました。地域寄席ってやつです。
主催は伊東駅前の蕎麦屋、成木屋。三代目の石井秀英さんは経済学部の落研出身で僕らの大先輩です。成木屋の座敷を会場に100人くらい入ったのかな、有り難いことに毎回大入りでした。食事付きの会なのもあって呑み過ぎて後ろで寝てるおじさんもいたけど(笑)。でもそんな風に気軽な思いで来てくれたのがうれしかったし、何より後輩たちが真打・二ツ目に昇進するときに披露目の会をできたのは、本当に有り難かったです。
楽しみだったのが、開演前にご馳走になる蕎麦。小海老の天ぷらが載ったおろし蕎麦がおいしくてね。落語家ですから、普段は老舗の蕎麦屋で板わさと台抜き*を肴に一杯……なんてこたぁ僕はしません。いつもは専ら立ち食いで、ちょいとうまい天ぷら蕎麦が食べたい日は、いわゆる街場の蕎麦屋へ行く。好きなのよ、町の一角に昔からある普通の蕎麦屋が。成木屋はまさにそれで、天丼やカツ丼、海が近いから鮨まであって、ほどほどの値段でお腹いっぱい食べられて、地元の人にも観光客にも愛される、そういう蕎麦屋。ここの蕎麦みたいにほっとする温かい空気が落語会にもあふれてたんです。
5年ぶりの石井先輩は傘寿と思えないほどお元気で、会を開催していた当時は聞けなかった話をたくさんしてくれました。
地域を盛り上げたくて落語会を始めたこと、そのために店を拡張して座敷を作ったこと、どうせやるなら本格的にと立派な高座を拵えてくれたこと、さらには金屏風まで買ったこと、その値段を家族には秘密にしていること、素敵な女性に僕のサイン本をあげてしまったこと、会の継続を望む声がたくさん届いたこと。そして「まったくの道楽でね。12年もできて満足だよ」と破顔一笑された。
久しぶりに成木屋の蕎麦を食べたくて、ひとりの客として蕎麦と天丼のセットを頼みました。でも結局、ご馳走になってしまった。……沁み入りました。今年還暦になる僕に言ってくれた「まだ小僧っ子だなぁ」という言葉も。先輩、ご馳走さまでした。(談)
談=柳家喬太郎 絵=大崎𠮷之
出典:ひととき2023年6月号
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