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冬至、なに食べる?|大雪~冬至|旅に効く、台湾ごよみ(3)

台湾といえば「常夏」――そんなイメージをお持ちの方も多いかもしれません。しかし、台湾にも南国ならではの季節の移ろいがあります。この連載旅に効く、台湾ごよみでは、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。

 台湾北部の冬の一日は、シトシトと降る雨音ではじまる。夜はシトシトと降る雨音を聴きつつ眠りに落ちる。つまり朝から晩までずーーーーっとシトシト、つけっぱなしの除湿器がゴーゴーと鳴り響き、ショパンの調べどころではないのが台北の冬である。ところが先日、台湾のこんな古い諺を知った。

「大雪無雲是荒年」

 二十四節気の「大雪」(今年は12月7日)に、もし雲一つなく晴れ渡るようならば来年は不作であるという。つまりこの時期の雨は、農業の盛んな台湾の先行きを占う大事なものなのだ。そう聞いて、薄ら寒いしとしと雨の辛さが紛れた。そうか、それならしっかり降ってもらわなくては!しかし中南部では、雲は多くとも雨は少ないと聞くから、やっぱり台北の冬は格別かもしれない。

 太陰太陽暦の生まれた中原(黄河中下流域)は、名前の通りこの「大雪」の頃から本格的に雪に包まれるという。節気を約5日ごと、さらに3つの季節に分けた季節・七十二候は

・鶡鴠不鳴(鶡鴠が鳴かなくなる)
・虎始交(虎は交尾をはじめる)
・茘挺出(大ニラが芽を出しはじめる)

 鶡鴠(かつたん)とは、日本語版ウィキペディアには「ミミキジ(カケイ)」というキジ科の鳥と書かれている。しかし実際、「四つ足の鳥の妖怪だ」とか「いやムササビだ」など、鶡鴠が何を指すかは今でも様々な説があるようだ。

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 二候目の虎も興味深い。冬至に向けてどんどん昼が短くなるこの時期は、陰陽でいえば一年でもっとも「陰が極まる」が、逆にそれはいのち萌えいずる「陽」の季節の始まり(冬至)がすぐそこまで訪れているのを意味する。そこで陽の気が大好きな虎は、ほんの少しの陽の兆しを感じ取って発情し、大ニラも芽を出し始める。古代中国に生まれた「陰陽」という思想の面白さが、しみじみ感じられる候だと思う。

日本と台湾をつなぐ潮の流れ

 日本の多くの地域では、この季節に「大雪」と聞いてもピンと来ないだろう。江戸時代に生まれた日本版七十二候は

・閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
・熊蟄穴(くまあなにこもる)
・鱖魚群(さけむらがる)

 で、雪が登場するのは冬至の末候(新しい年が明けたころ)である。熊といえば、今年の秋はとりわけ熊被害の深刻なニュースが日本より届いた。熊の頭数が増えていることや、里山に以前のように頻繁に人の手が入らなくなり、動物たちと街の暮らしの境界が曖昧になっていることなど様々な理由があるらしい。「大雪」の節気を迎え、被害が落ち着くことを祈るばかりだ。

 熊、そして三候目のサケ(鮭)と続いて思い出すのが、北海道のアイヌ文化である。アイヌ語で鮭は “カムイチェプ(神の魚)”もしくは“シぺ(本当のたべもの)”と呼ばれるそうで、その年に初めて獲れた鮭は盆にのせて神様に捧げるという。近年では、アイヌ族と台湾原住民族との文化交流も始まっていて、先日インタビューしたパイワン族のアーティスト・武玉玲さんも、「アイヌ族と私たち台湾原住民族は文化的に共通するものが沢山ある」と語っていた。

 実際、日本と台湾とのあいだの潮の流れを見れば、黒潮~対馬海流によって台湾東部と北海道は繋がっている。海流や季節風にのって、台湾と日本のあいだを古代より様々なものが往来してきたのではないかと空想するのは楽しい。

 川の上流で生まれ、海に下って成長した後、産卵のために再び生まれた川に戻ってくる鮭だが、同じくこの時期に産卵のため台湾沖へと泳いでくるのが、台湾名物「カラスミ(烏魚子)」の原料となるボラの群れだ。この時期に台湾海峡へと南下してくるボラの卵巣は脂がのって最高というのは食通で知られた邱永漢氏の本にも出てくるが、近年は温暖化でボラの群れの泳ぐルートが変わったとか、養殖や輸入モノが増えたとも聞く。それはともかく、1-2か月ほどで迎える春節(旧正月)のご馳走のため、台湾のあちこちでカラスミの仕込みが始まるのが、この「大雪」前後からである。

家畜をねぎらうお供えもの

「大雪」の次の節気「冬至」は、一年でいちばん昼が短い日として、日本でもお馴染みだろう。日本ではクリスマス前で年の瀬と慌ただしい時期だが、冬至を迎えて歳を一つとった昔の人にとって、一年の始まりとして大切に考えられてきた節気である。

 日本の冬至には、かぼちゃや小豆を食べて柚子湯に入れば一年風邪をひかないという習わしが良く知られるが、台湾で冬至といえば「湯圓/圓仔(タンユェン/インァー)」だ。もち米粉で作った紅白の白玉や、黒ゴマペースト餡の白玉団子はわたしも大好きだが、どうやら他にも色々あるらしい。そこで、フェイスブックの台湾友人らに「冬至といえば何食べる?」と聞いてみたところ、たくさんの回答が寄せられた。

 例えば、第2回で紹介した麻油雞、薑母鴨、羊肉爐など身体を温める料理。ある方が見せてくれた昨年の冬至のお母さんの手料理写真には、麻油雞のほか干しシイタケと鶏の透き通ったスープ、豚モツの胡椒スープが並んで何とも暖かく美味しそうだった。戦後に中国より台湾へと渡って来た、小麦粉文化豊かな中国北方がルーツの人であれば、冬至にワンタンや水餃子を食べる家庭もあるという。

 台南の友人は「菜包(ツァイバオ/ツァイパウ)」を食べると教えてくれた。菜包と聞くと客家の人々が正月に食べる干し大根が入ったものを思い出すが、台南のは「菜粿」(ツァイグェ)ともいって大根やニンジンの細切り・芹・ピーナツ粉・漬物などを入れ、大きな水餃子のような形をしている。同じ台南でもエリアによって白・紅・緑と多彩で、冬至に特別に作るので「冬至包」とも呼ばれるらしい。

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 台南と同じく「菜粿」を食べると教えてくれたのが、台湾海峡に浮かぶ離島、澎湖(ポンフー)県出身の友人だ。こちらは「菜繭」(ツァイガン)と呼ばれ、大根やニンジンのほか木耳やエビ・椎茸・豆干の細切りを包む。

 さらにもうひとつ、澎湖の特別な冬至食があるという。「雞母狗仔」(ゲームガア)といい、もち米粉を練って鴨、犬、牛、羊、魚、豚など様々な動物や古代のお金の形をこしらえ、食紅で色をつける。昔の農業社会において冬至は農閑期の入りでもあったから、共に働いてきた家畜をねぎらう意味で雞母狗仔をこしらえ、五穀豊穣と円満平安を祈った。また春節前に何度も豚や羊を殺して祖先にお供えする贅沢はできないので、代わりにこしらえた雞母狗仔を祖先にお供えしたともいう。

鶏母

 よくよく調べてみれば「雞母狗仔」は中国南方・福建地方の漢民族の伝統習俗で、澎湖以外でも台湾各地で作られていたようだが、次第に作る家庭も減り、今はその存在を知る人も多くないようだ。日本でも、離島にこそ原型に近い形でかつての文化が残されている例は少なくない。12-13世紀ごろ、かなり早い時期から漢人の定住が進んだという澎湖だけに、また離島であるゆえ伝統文化を色濃く残してきたのかもしれない。こうした各地域の飲食文化の来し方に想像を遊ばせるのも、季節の行事について知る楽しさのひとつだろう。

 というわけで、今季のわたしの「台湾的七十二候」は

・カラスミを心待ちにする
・洗濯物が外で乾かない
・今年の冬至、なにたべる?

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。


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