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行春や鳥啼魚の目は泪|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

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≪お知らせ≫
小澤 實 著『芭蕉の風景(上・下)』が、第73回読売文学賞で随筆・紀行賞を受賞しました。おめでとうございます。小澤さんはご自身の句集『瞬間』で第57回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞して以来、二度目の受賞となりました。

行春ゆくはるとりなきうおなみだ 芭蕉

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おくのほそ道矢立初

 芭蕉は元禄二(1689)年の旧暦三月二十七日の早朝、滞在していた門人、杉風さんぷうの別宅採荼庵さいとあんを出た。そして、別れを惜しむ門弟たちとともに、小名木川おなぎがわもやってあった舟に乗りこんだ。舟は隅田川に出て、流れをゆっくりとさかのぼっていく。千住大橋のあたりで芭蕉と弟子たちは舟から上がった。『おくのほそ道』旅立ちの場面である。芭蕉と曾良とは、約六カ月、約二千四百キロにわたる長旅に、ここから出立したのであった。

 掲出句は紀行文『おくのほそ道』所載。句意は「春が行こうとしている、鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいる」。

 今日はその千住周辺を歩いてみよう。山手線日暮里駅から京成電鉄本線に乗り換え、千住大橋駅で下車。二百メートルほど南下すると橋に出る。北側の袂に足立区立大橋公園があった。

 小さな公園だが、ここに「史跡おくのほそ道矢立やたてはじめの碑」が建てられている。碑文には「行春や」の句を含む「おくのほそ道」の千住の部分が彫られている。

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『おくのほそ道』にはこの句の前に「草の戸も住替る代ぞひなの家」という句が置かれている。句意は「わびしい草庵にも住み替る時が来たようだ、新しい住人は雛人形を飾ることだろう」。

 しかし、こちらは芭蕉庵を人に譲って採荼庵に移った際の句、旅中の句ではない。「行春や」の句が旅に出て最初に矢立の筆を取った句ということになるのだ。

「千住大橋と奥の細道」という解説の碑もある。この橋は文禄三(1594)年隅田川最初の橋として架けられ、その後いくたびも架け替えや工事がなされたと書かれている。芭蕉の旅立ちの風景のなかにもこの橋はたしかに存在した。

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 碑には広重の「名所江戸百景」(安政三〜五年・1856〜58年作)の「千住の大はし」の銅版も添えられていて当時を偲ぶことができる。広重の浮世絵の橋は木造で、馬や駕籠に乗った旅人がゆったり渡っている。川面には白帆を揚げた船が浮かび、岸には船が引きあげられている。こういう風景の中、芭蕉は旅立った。

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 句を案じていると、釣竿を持った男達が何人も現れて輪を作った。釣りの会の解散の挨拶をしているようだ。この岸は現在でも釣船の発着所になっている。

素盞雄すさのお神社の芭蕉句碑

 現在の千住大橋(旧橋)は碑の解説によれば昭和二(1927)年に完成している。当時は総アーチ型という最新型の橋だったようだが、現在見ると存在感がなつかしい。橋脚には鋲がびっしりと均一に打たれている。車道はかなり交通量が多く、その外側に自転車用の道があり、歩道は一番外側。歩いていくと、川面の煌めきが眩しい。若い男女の二人連れが撮影に来たのか、ともに大きなカメラを提げて渡っていく。

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 寺社の多い地域で道の右側に熊野神社、誓願寺、素盞雄神社と続いている。熊野神社は最初の架橋を試みた伊奈いな備前守びぜんのかみが成就を祈願したところだった。素盞雄神社には古い芭蕉句碑がある。文政三(1820)年に建造されたもの。

 儒者で書家である亀田鵬斎ほうさいが『おくのほそ道』の千住の部分と「行春や」の句を独特のぐらぐら揺れるような字で書いている。碑の下の芭蕉の座像は巣兆そうちょう筆。巣兆は白雄しらお門の俳人であり、画家としてはたに文晁ぶんちょう門である。

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 異なったジャンルの芸術家たちの交遊が芭蕉の句碑のかたちで残されているのがうれしい。ただ、現在建てられている碑は碑面の傷みのため最近刻みなおされたものである。

 さて、「行春や」の句であるが、旅立の当初、この句が作られたのではない。「鮎の子のしら魚送る別哉」、当初の句はこちらだとされている。隅田川は白魚の旬が終わり、鮎の子の季節を迎えようとしていた。そこで旅立つ芭蕉を白魚に、送る門弟を鮎の子にたとえているわけだ。船から見た川面にそれらの魚影も見えたのかもしれない。しかし、この句を捨てて『おくのほそ道』には「行春や」の句を据えているのであった。この句も「鳥」を芭蕉、「魚」を門弟と解するものがある。その解は、理屈っぽく、句を小さくしてしまっている。

 歌人半田良平の『芭蕉俳句新釈』(大正十四年・1925年刊)が高濱虚子の掲出句の鑑賞を紹介している。「高濱虚子氏が『恰度ちょうどお釈迦様の涅槃の図にいろんな動物が涙を流して悲しんでゐるのと同じやうに、何もかも泣いて別れを惜しんでゐる、といふ風に見ればよからう」。この説に共感する。ふつう涅槃図に鳥の姿は見えるが、魚の姿は見えない。そこで「魚の目は泪」に俳味が生まれる。

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 この句で惜しまれているのは、まず春という季節の死。その上で、芭蕉自身の旅先での死もほのめかされているのだろう。芭蕉はこの奥州北陸への旅から生きて帰れるものとは思っていなかった。この思いは『おくのほそ道』末尾の「大垣」の門弟たちが芭蕉に会う場面の「蘇生のものにあふがごとく」、つまり「生きかえった者に会うように」という表現に遠く対応する。

 境内では「奥の細道旅立ちの碑 根つけ」も販売している。俳句大会の看板も立てられている。芭蕉の人気が高いのである。小屋には神鶏として矮鶏ちゃぼが飼われていた。のぞき込むと鶉も同じ小屋の中に飼われている。春もたけなわである。

鉄橋に万の鉄鋲春日差す 實
春風やちやぼもうづらも一つ小屋

※この記事は2002年に取材したものです

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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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