祇園祭に欠かせない花・檜扇と“神の使い”お稚児さんの思い出|花の道しるべ from 京都
7月の声を聞くと、京の町には祇園祭の鉦の音が響きわたる。山鉾を彩る懸装品、駒形提灯、厄除けの粽、そして宵空を流れる祇園囃子の音色……。どれをとっても不思議と懐かしく、郷愁をかきたてるものばかり。「やっぱり京都は、古きよき日本の原風景を残す街なのだ」と、京都に住んでいることが、ちょっぴり誇らしくなる季節だ。
“神の使い” お稚児さんの思い出
小学5年生の時に、「長刀鉾の稚児」を務めた。長刀鉾は唯一、生稚児が乗る鉾。毎年、鬮取らず*で、前祭の先頭を行く。最初はその責任の重さも分からず、「鉾に乗るのはおもしろそう」と気軽に引き受けたのだが、連日大切な神事が続き、徐々に「遊び半分でやってはいけない」という自覚がめばえてくる。祇園祭は、町内、稚児係、音頭取り、車方、屋根方、囃子方、曳き手など、たくさんの町衆の力によって支えられている。周りの大人たちの祭りにかける熱い思いを肌で感じとり、自然と背筋が伸びてくるのだ。
稚児は神の使いだから、足を地面につけてはいけない。移動の際は、白馬に跨るか、強力さんに担いでいただく。強力さんの肩の上でへっぴり腰になり、「しゃんとしなさい」と稚児係さんに叱られたのもよい思い出だ。稚児の最大の役目は、四条通に張られた注連縄を真剣で切り、巡行をスタートさせること。もちろん失敗は許されない。稚児が刀を手にすると、四条通を埋め尽くす観衆が、一瞬、水を打ったように静まり返る。
スパンッ。次の瞬間、割れんばかりの拍手を浴びて、ほっと胸をなでおろした。23基の山鉾が都大路を巡行する様子は、壮麗で美しく、「動く美術館」と言われるのも頷ける。
稚児を務めた翌年から、長刀鉾の囃子方となった。最初は鉦方。鯨の髭の先に、鹿の角を付けたバチで鉦を叩く。コンチキチンと聞こえるのはこの鉦の音。最近では、鯨の髭が手に入りにくく、グラスファイバー製。父親ゆずりの鯨の髭のバチを持っているのはちょっとした自慢だ。約十年間鉦を勉強した後、太鼓か笛のいずれかへ進む。
囃子は合奏なので、なにより間が大事。演奏を合わせるために、稽古を重ねる。長刀鉾の囃子方は他の山鉾町に比べて大所帯なので、巡行当日に全員が鉾に乗れるわけではない。おのずと出席率が高い囃子方が鉾に乗る権利を得ることになる。最も出席率の高い囃子方が担当するのは、八坂神社に向かう四条通。四条通の囃子は曲調がゆっくりで演奏も難しい。
祇園祭に欠かせない檜扇をご神前へ献花
10年前、家元継承にあたり、囃子方を続けるのが難しくなった。そこで、町会所*のご神前への献花という形で、長刀鉾とのご縁を繋がせていただくこととなった。祇園祭が近づく頃、京都の家々には、桧扇の花が飾られる。桧扇は、黄色い花を咲かせるアヤメの仲間。大きく広がる葉の姿が、桧の薄板で作った扇に似ているところからこの名がつけられたのだが、末広がりでめでたく、涼感を呼ぶものとして、祇園祭には欠かせない花とされている。長刀鉾町会所には、毎年、この檜扇を献花することにしている。数本の桧扇を向かい合わせていけるのは、降り注ぐ日の光に向かって伸びていく成長力のあらわれ。力強く葉を広げた桧扇は、隅々にまで祇園祭の熱気を充満させる。この献花は、山鉾巡幸が中止となった2年間も続けた。誰もいない町会所の2階は少し寂しい光景だったが、今年はかつての賑わいが戻ってくるのを楽しみにしている。
祇園祭のもう一つの楽しみ いけばな展
私が稚児を務めた年、京都いけばな協会の会長を務めていた祖父は、いけばな界も祇園祭を盛り上げるお手伝いをしたいと考えた。共に禿を務めた幼馴染の「伊と忠」さんや、懇意の「祇園辻利」さんにお力添えいただき、四条繁栄会商店街・祇園商店街のご協力を得て、「祇園祭にいける いけばな展」が始まった。7月15日~17日の3日間、四条通のお店のショーウィンドウに、京都いけばな協会の各流派が花を添える。今では祇園祭のもう一つの楽しみとしてすっかり定着した。
多くの観光客を集める山鉾巡行が、2年間の自粛を経て、3年ぶりに実施される。地方に就職した囃子方の仲間も、この時期だけは、会社を休んで京都に戻ってくる。祭りはそこで生活する人々のアイデンティティー。平安時代から今にいたる京都の町衆の思いが詰まっている。
文=笹岡隆甫
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