339 過剰な自分と折り合いをつける
何かを書くこと 長いこと、ライターとして記事を書いてきた。主に他人のことを書いてきた。インタビューをしたり、取材して得た情報をまとめる。そこに自分の入る余地などはない。口を酸っぱくして「客観性」とか「客観報道」みたいな話を聞いて育っていたものの、一方ではすでに「ニュー・ジャーナリズム」というものが存在していて書き手の主観を取り入れながら記事を書くことも「あり」となっていた。その点で沢木耕太郎への憧れがあった。いまでは、新聞でも署名入りの記事が増え、ネットにおいても自分を前面に