ほんまシュンジ
2023年9月から毎日記事を書いてきた「微睡みの中で恋をして」と「つぶやき」から、とくに反響のあったものだけをセレクトしました。♡の数とアクセス数でチョイスしています。
自作の絵。主にメディバンで描いています。修業中。たまにスケッチなども。
日記のような創作のような。創作のような日記。
正直、詩は苦手。読むのも書くのも。でもなぜか書きはじめてしまった。
小説。私小説的エッセー的。オートフィクション。ある時代の日本。90年代後半ぐらいか。
今回の絵はここで完成したかな。これでいいかな。いやまだ粗いところもあるけれど、とりあえずここまでとします。浅草西参道のアーケード入口付近にカートにのせて到着した愛犬です。
寒くなると布団の中に入ってくる。ぴったりと体を寄せてくる。愛犬の話である。この時期、人との距離が接近する。犬は人より体温が高いので、こちらとしてもありがたい。1万年前の人類もそうしていたのだろうか。
寒くなってきて服装が変わると、ちょっといまは窮屈な感じになってしまう。だけど慣れてくれば寒いときだってもう少しノビノビできるんじゃないかな。いまはどうしても縮こまりがちだけど、むりにでも手足を、そして背筋を伸ばして外に出たい。お店の窓に反射している自分をチラッと意識しつつ。
真実を知りたいと願ったとしても、その前に事実が積み重なっていき、事実に圧倒されてしまう。事実をしっかり捉えることも大事で角度によって形や色が変わってしまう。だからこそ真実が知りたいんだけど、それは事実によって塗り固められ埋没し意味を失う。
オリジナルって簡単に言うけれど、なかなか生まれて来ないものだなと思う。必要に迫られて生み出されることもあるのだろうけど、オリジナルと胸を張って言えるほどのものはそうそう出て来ない。どこか模倣。あるいは練習で染みついたものだったりもするから。
絵の練習をはじめてすでに2年ぐらい経っているけれど、どうでもいいところが難しい。それがやっぱりどうでもいいわけじゃない。それは描いてみて知ったこと。世の中は、どちらかと言えば、どうでもいいことを排除したがるけど、それは違うのかもしれない。
古くて新しいことをする。かつて少しやったけど上手くいかなかったこと。それが今は別の角度からすんなり出来てしまうことがある。すんなりではないけれど、楽しくやれることもある。嫌だったことが好きになることもある。もちろん逆もあるけれど。いい方向に転んでいくことだけ考えよう。
90の母が久しぶりに「おいしかった」と昼。父(95)の買って来た寿司だとか。今年はずっと何を食べても「おいしくない」と言っていた母だけに、その笑顔にこちらはホッとする。最近は台所に立つことも増えた。たまに料理もしている。父が切ったり剥いたりした野菜を母が炒めて味付けしている。
インフルエンザのワクチンを接種した。医師はコロナについては何も言わない。こちらからも言わない。だからスルーである。地元では有料のインフルと無料のコロナの受診用紙が同時に配布されてきて、あたかも「みんな注射するよね!」みたいな感じなのだが、実際はそうではないようだ。タダだからって。
無自覚な老害を避けるには 世の中で言われている「老害」の多くは、40代、50代の働き盛りを対象にしているらしく、正直、まだ「老」ではない。実際は老ではないのに、老害と呼ばれるのは、それだけ老いを先取しているかのような言動に終始するからかもしれない。疑似老である。あたかも老人となったかのような言動を、もしも無自覚にやっているとすれば、まさしくそれは「老害」の誹りを受けても仕方が無いことであろう。 つまりその根底には、「万が一、老害と指摘されても、いまならまだ老害から脱すること
日米ともに政治的な未来が見通しにくい状況になってしまったけれど、そのせいでこっちまでうろうろする必要はないと自分に言い聞かせて、地道にやるべきことに集中したい。そうは思うものの。これだけ格差が広がると、誰の言う方向が正しいのかも見極めにくいなあ。
8歳になるうちの子(愛犬)は意思表示が上手になってきて、今朝も「天気もいまはまだいいんだから散歩しよう」と言う。小型犬なので散歩はそれほど必要ないはずだけど、やっぱり外は気落ちがいいんだろう。しかし、同じところを何度も行き来している。それが楽しいらしい。
昨日からなんだか眠い。夜も眠っているはずだけど。いまも眠い。そういえば学生の頃、教室で本当に眠かったんだけど。あれを思い出すなあ。窓の外をぼんやり眺めたりして。人間の営みとしてこんなサボる時間って、むしろ生物的に生きている時間なのかも、なんてむりやり肯定したくなる。
日テレが「ゴチバトル」で大晦日を埋めるらしい。毎週のように見ているけどさすがに5時間も見ることはないだろう。ともかくクリスマスとか年末の話が出てくる時期になったってことですね。年内にやれることはやっておかないと。そんなちょっと焦る気持ちにもなってきました。
希望的観測は打ち砕かれたあとが面倒だな、というのがアメリカ大統領選挙後の感想。メディアは中立ではない。もし経済が米国民の主な関心事だったのなら、もっと早い段階で結果を予測できていたはずだ。まさか知らなかったとでも言うのだろうか? さてトランプ大統領の手腕を見てみよう。