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(書評)ボクはやっと認知症のことがわかった

こんにちは!今日は2020年はじめての書評です。先日本屋さんに行ったら飛び込んできた本。私たち介護従事者にとってはあまりにも印象的なキーワード「認知症」をテーマにした本。しかも認知症検査で有名な「長谷川式スケール」を開発した長谷川和夫医師が、2017年に自ら認知症となって公表したことが話題となったことを思い出し、思わず即買いしてしまいました!

早速読んでみて、一気に読み切ってしまいました。ノートとペンを片手に、印象に残ったフレーズをメモしたり、引用したいところのページをメモしたり、その時自分が感じたことをメモしながら読みすすめました。

長谷川医師は昭和4年生まれですから、今年91歳となります。88歳頃からいつも行けている場所に行けなくなるなど、明らかにおかしいと思え、自身が認知症になっていることを疑い、様々な検査の結果、認知症だと診断されたそうです。

長年に渡って認知症の研究者の第一人者としてあまりにも有名であり、その方があっさりと「実は自分は認知症なんですよ」と公表するのは自然な流れだったそうです。

それは「認知症」のことを正しく世の中に知ってほしいからです。今でも「認知症(昔は痴呆)」になった方への偏見やスティグマ(恥辱)が根強く、よって「認知症患者」への接し方がまったく正しくないことが多い。「なにもかもができない人」とか、「同じことを何度も繰り返し言う人」と決めつけ、この人は私が守ってやらなければとなんでも世話を焼いてしまって役割を奪ってしまったり。この世話を焼きまくるというのは、私たち介護従事者も無意識的についやってしまうことだとハッと気づかされたものです。

認知症になったからといって、「人でなくなる」ことはなく、私たちと一緒の感情があり、天より与えられた尊い一人の人間です。認知症によっておこる一番の障害は「生活障害」です。正しく理解し、生活における支援を周りの人たちが行い、その人らしく生きていただく。その人本位の支援をしていくことが大事だと長谷川さんはいいます。

そして認知症の方々へのサポートとして、「パーソンセンタードケア」(Person Centered Care)という考え方が最も大事だと書いてありました。79pにこのパーソンセンタードケアについての具体的なエピソード(4歳の女の子が公園で転んでしまった小さな子にしてあげたこと)があり、これには私もとても感動し、とても印象に残ったエピソードでした。

「下手に手を貸さず、しかも貸しすぎない。時間をかけて十分に待つ。自主性を尊重しつつ、さあ、前に向かって進んでみようと誘ってみる」

この一文は認知症の方々への支援で最も大事な姿勢だと感じます。言うは易し、行うは難しですが、ついつい世話を焼きすぎてしまいがちな私たちですから、この言葉は胸に利用者様達に接していきたい。

もちろんキレイなことだけではありません。認知症といっても人によって現れる症状は様々で、中には耐え難いものもあるでしょう。夫が妻を介護疲れで殺してしまうという痛ましい事件もあるくらいですから。氏は老いることの弊害について正直に書いています。


・加齢が認知症の一番の因子であること

・生きることは辛く大変であること

・転倒を繰り返し、歯は抜け、身体面や認知面の低下を嫌ほど実感し、情けなり、落ち込んでしまうことが多くあること


それでも辛い夜の後には朝が来ると力説し、自分が認知症になっても私たち読者に向けて力強いメッセージを発信し、1日の中に楽しみを見出すことを忘れずに、残りの余生を精一杯に生きていらっしゃる長谷川さんの姿に強く心打たれます。

老いることで認知症になりやすければ、間違いなく今後の日本は超認知症国家となります。であれば私たち介護従事者のひとつの大きな役割は、認知症になってもその人らしく生きられるように、生活支援を行い、役割を担ってその人らしく生きていただくための支援をすることが大事なのではないかと思います。

長谷川さんの書かれたこの本は本当に多くの人に勇気を与え、超高齢社会・認知症社会になっていく日本にとってどう人生を全うしていくのか、指針となるのではないかと強く思います。

長谷川さんのように「実は私、認知症なんですよ」とあっけらかんに言える雰囲気をつくっていきたいものです。いろいろと考えて少しずつ実行していきたい。認知症の方々でつくる音楽演奏会、やってみたいなぁ。長い文章となりました。今日も読んでいただき、ありがとうございました!

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