私あかん人やってん、今もやけどな
買い物へ行くときに必ず渡る橋がある。
その橋は大きな川に架かっている。川幅は広いがとても浅い。そしてたまにヌートリアが我が物顔で泳いでいる。サギもいる。誰が捨てたのか、得体の知れないゴミが流れていることもある。そんな川だ。
橋を渡るとき、私は必ず欄干に手をかけて川を見下ろす。何か”落し物”がないかちょっとだけ探すのだ。この日はサナダムシみたいなスズランテープの束がくねくねと身をよじっていた。
以前は、死ぬために川底を覗いていた。
さあ行くぞ、それ行け、今がチャンスだ。欄干から身を乗り出して何度も自分を鼓舞したが、あと一歩踏み出す勇気がなかった。多分、今もそんな度胸はないと思う。
当時の私は完全に壊れていた。人生に挫折して、心臓が勝手に動くことすら苦痛で仕方なかった。呼吸しようともがく肺が憎らしかった。
誰かに殺してもらおうと、人通りが少ない夜道を一人でフラフラ彷徨っては、無傷で自宅に戻ってくる。気絶するように寝て、起きて、まだ生きていると気付いて、落胆する。私には加害対象としての価値もないのか。毎日そう思っては自己嫌悪に苛まれた。
完全に、あかん人やった。
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西加奈子さんの『白いしるし』を読んだ。
まっさらなキャンバスに真っ白な絵の具。そこに浮き上がる露草色の明朝体。綺麗な表紙だと思って手に取った。何となく、THE BACK HORNの『ヘッドフォンチルドレン』というアルバムの歌詞カードに似ている。
少し乱暴な説明になるが、本作は数々の失恋を経験してきた夏目香織という女性が、結ばれないと分かっている男性『真島昭史』を好きになり、悲しくも失恋し、また立ち直るというストーリーだ。
かねがね思っていることだが、”失恋”とはすごい言葉だなと思う。
私は今まで大小様々な恋の終焉を見てきた。友人だったり、同僚だったり、顔も知らないネット越しの誰かだったり。一度は成就したり、それすら拒まれたり、突然誰かに奪われたり。まあ色々だ。
甘やかで尊い時間にピリオドを打った彼らは意気消沈する。確実に、心のどこかに風穴が空いている。それも小さくないやつが。
これを埋めるのには時間がかかる。パテ埋めとはわけが違う。
たまに、風穴ではなくブラックホールが出現して、そこに体を吸い込まれてしまったのかと思うほど痩せてしまう人がいる。逆に誰かのブラックホールから吸い取ってきた体を押し付けられたような人もいる。
これほどまでに人を変えてしまうイベントを、たった4音で表現するのは土台無理な話ではないか、と思う。しかしそれを強引に実現した失恋という言葉はすごいと思う。少なくとも私は。
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どうも私は友愛と恋愛を一緒くたにしてしまう傾向がある。同性にしろ異性にしろ、友人だと思っている人物に対して、まるで恋人のような恋慕の情を抱くことがある。ままある。
じゃあ、彼らに体を開けるのかと言うと、それはできないと思う。そもそも私は触れられることが苦手なのだ。同性にしろ異性にしろ。だから私は恋愛経験がない。まったくない。
それでも夏目香織の気持ちはよく分かる。
青い髪をした、7つ年上の男に恋をして、自分も髪を青くして、左肩に彼と同じ「せかいのはじまり」という刺青を入れて、挙句こっぴどく振られた夏目香織の気持ちが。
運命さえ感じた『真島昭史』には、種違いの妹という恋人がいて、2人の間には髪の毛一本すら入り込む余地がなく、過酷な失恋をした夏目香織の気持ちが。
涙は、もう出ない。出ないが、人相が変わってしまうほど、まぶたが腫れた。不細工、という言葉では追いつけないほどの有様だった。
引用:『白いしるし』99ページ
挫折という大きなカテゴリの中に失恋が含まれるなら、私は人生に失恋したといえるだろう。人生に振られた私の心にもブラックホールは現れて、そいつは私を12kgも吸い取っていった。
どんな料理も香りつき消しゴムと大差ないように思えたし、まったくの無味だった。常にモザイクがかった思考のせいで、今待っている信号が赤なのか青なのかすら分からない。そんな有様だった。
『真島昭史』を失ってポンコツになった夏目香織と私は酷似していた。私は人生に振られて”あかん人”になっていたのだ。と、腑に落ちた。
今もあかん人なんかもしらんけど。
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赤が嫌いなときに見る赤と、赤が大好きなときに見る赤は、全然違って見えるけど、赤そのものは、ずっと赤なんです。赤であり続けるだけ。見る人によって、それがまったく違う赤になるというだけで。
引用:『白いしるし』138ページ
私は夏目香織のこのセリフがとても好きだ。一番好きだ。
これを目にしたとき、真っ先に近所のあの橋が思い浮かんだ。ヌートリアや、サギや、得体の知れないゴミがある、大きな浅い川に架かっているあの橋だ。
心から死にたいと願っていた頃の私にとって、あの橋はまさにノアの方舟だった。私をあの世へ連れて行ってくれるノアの方舟。
失恋した夏目香織が、青い髪の恋人を忘れるために大阪から東京へ引っ越したように、人生に振られた私もどこか別の場所へ逃げたかった。だが、人生の影は地球上のどこへいってもついてくる。鬱陶しいほどに。
人生を忘れるためには、この世から退場しなくてはならなかった。
あそこから飛び降りさえすれば、私は解放される。心臓を動かさなくて良いし、肺に押し入ろうとする空気を拒む必要もなくなる。
欄干から見下ろす川底には、水流に削られて丸くなった夥しい数の砂利が肩を寄せ合っている。あそこが最期の寝床だ。悪くないじゃないか。本気でそう思っていた。
やはり私は壊れていた。あかん人やった。
*
失恋のブラックホールが小さくなった今、あの橋はただの橋になった。買い物のために渡る、ただの橋。ノアの方舟だ何だとありがたがっていたのは何だったのかと思うくらい、私の中であの橋の存在は小さくなっていた。
別に橋は変わっていない。私が変わったのだ。橋はずっとそこに架かっている。何年も前から変わらずに。
夏目香織のあの言葉に、ほのかな望みが降ってきた。
多分、私は失恋から立ち直り始めているのかもしれない。人生と復縁できるかもしれない。
サナダムシのスズランテープみたいな、ほのかで頼りない望みだ。それでも、ぽうっと目の前に現れると心が軽くなる。ブラックホールが気持ち小さくなる。
もうしばらくの間、私はあかん人のままなのだろう。
失恋してポンコツになった、ただのあかん人。あかん人がただの人になったとき、あの橋はもっと小さな存在になるのだろうか。それはそれで一抹の寂しさを覚えるが、きっとあの橋は橋であり続けるだけなのだろう。
あの広く浅い川に架かった、ただの橋として。