幼稚園の先生の「私は、さみしいよ」に、涙した話。
こんにちは~honaです!毎日投稿中です!
今日は、幼稚園の先生の声掛けに涙した話を残そうと思います。
それは、保育参加をさせてもらったときのこと。
年少の娘の通う幼稚園では、お誕生月の子どもたちをお祝いをする会があり、親も参加します。また親は同日、子供のクラスの保育に入って、保育参加をします。
実は保育参加に入った日は、同じクラスの年少のお友達が転園した、すぐ後のことでした。
娘は、その転園したお友達と、仲良くしていました。
そのお友達は、少し引っ込み思案というか、慎重なタイプで、少しずつクラスに馴染むようにしていたようなのですが、そんなお友達を娘が気にかけていたようで、お昼ご飯や外遊びの支度を自分から手伝ったり、そのお友達が先生と2人で遊んでいるところに自分から混ざっていて、そのお友達と寄り添って遊んでいたそうです。
初めて知る娘の一面を先生から伺って、娘のやさしさに感動し、幼稚園に入って大切な繋がりができて嬉しいなと思っていました。
また私自身も、そのお友達のお母さんと仲良くしたいなぁと思って、積極的に会話するようにしていました。
そうやって子ども同士、心を通わせていたある日、突然お父さんの転勤で引っ越すことになり、クラスからいなくなってしまって数日経ったときに、保育参加がありました。
娘は、家ではあまり変化は感じませんでしたが、やはり園の活動中は寂しさを感じているのか、それまでよりも先生にぴったりくっつき、手をつないでもらったり膝の上に乗せてもらったりすることが、増えたようでした。
その保育参加中、活動のなかで、お友達の誰かが、
「〇〇ちゃん、もうないんだよね」
と、引っ越したお友達について、言いました。
すると先生が、
「そうだね」
と、応じました。
そしてまた、別の誰かが言いました。
「ぼくはさみしくないよー」
するとまた先生が、優しく応じました。
「私はさみしいよ。」
と。
私はその言葉を聞いて、ふと涙がこぼれそうになりました。
今も、こうして思い出すと涙が滲んでくるくらいです。
私はずっと、こういう言葉をかけてほしかったのかもしれないと思いました。
私も本当は寂しかった。寂しい思いを分かってもらわなくてもいいから、誰かと気持ちを寄り添わせて、寂しいよねそうだよねって共有したかった。
きっと寂しいって言っていいし、泣いてもいいんだよね。
自分の気持ちを親しい人にすら表現するのが苦手だけれども本当は皆んなと仲良くしたいと思っている私にとって、先生の言葉が、心の救いになったような出来事でした。
そして私がそう感じたということは、娘も、心に残っているかもしれないと思いました。
毎日一緒に遊んでいたお友達が、知らないうちに遠くに行って会えなくなって、なんだかよく分からない、この気持ち。
それを、先生が「さみしいよ」と明確に言ってくれたことで、娘は「そうか、私はさみしいのかもしれない」と自分の気持ちに気づいて、「こういう気持ちを寂しいって言うのかな」と自分の気持ちに名前を付けてあげられるようになるかもしれない。
たった一言で、誰かの心にすっと入り込んで温めてくれる、そんな声がけができる先生。
本当に尊敬しかないです。
私もそんな言葉をかけられる人間に、なるぞ!
では今日はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました!
hona