子どもの「言語化」を引き出す保育。保育って奥深い。~発達172号『子どものことば、再発見!』を読書中~
こんにちは~honaです!毎日投稿中です!
先日から国語力、言葉の力について関心が高い私ですが、なんとタイミングの良いことに、今回のミネルヴァ書さんの季刊誌「発達」のテーマがなんと「子どものことば、再発見!」なのです。
ものすごく楽しく読み進めさせていただいております(^^)
最近いくつか書籍を読んで、言葉が我々人間にとって非常に特有かつ不可欠なツールである事は言うまでもなく、さらに幼少期の子供たちにとっては、その発達を促すためのすごくすごく重要なツールであると言うことを理解しました。
今日はその中でも、子供が豊かな言葉を引き出すような保育者の声掛けが、保育の中で非常に大切という気づきについて残そうと思います。
とても身近なところで言うと、幼い子供への会話では「です・ます口調」はあまり使いません。
小1の息子の周辺の友達を見ると、近所の小学2年生の男の子は私に対してタメ語で話しますが、5年生のお兄ちゃんはしっかり敬語で会話してくれるのです。きっとその間に何かしらの成長があるんだろうなと漠然に理解をしていました。
今回雑誌を読んで、まだまだボキャブラリーも会話の経験も少なく、自分の気持ちを言語化するのが難しい子供たちにとって、「ですます口調」や敬語では余計に言葉が複雑になって操る方に意識が向いてしまうと、自分の思いや考えを言語化することがもっと難しくなってしまうのだろうと気づきました。
小学生でさえそうなんだから、もっと小さい保育園児・幼稚園児にしたら相当困難なレベルでしょう。
また、雑誌の中で、こうした保育実践の事例がありました。
言葉があるからこそ自分の考えをイメージして言語化し具体化することができ、言葉があることでそれを友達や仲間、他者に伝えることができ、さらにその伝わっていったイメージを共有することで、新たな気づきを得ることができる。
そこまでを幼い子供たちだけで実現するのは最初は難しいから、保育者や周囲の大人がすこし補う、背中をやさしく押してあげるように、すると子ども達が得意とする豊かで独特な発想力で、ぐんぐん進んでいく。
今私がこのnoteやSNSの発信を通して行っている「言語化」が、このような実践を通して幼少期からも育むことができるんだ!とすごく自分の経験にもシンクロして、感動しました。
さらに、同じ保育実践会の振り返りはこのように続きました。
この記述を読んで、「言っていない子」と言うところを読んで、これはまさに私が先日記事で考えていた「沈黙も表現である」に近しいのではないかと、またもや感動しました。
こうやって、子供が黙っている時間もイメージや考えを膨らませていると保育者や教師が受け止めてくれている事は、その後の保育、教育の進め方を大きく変えると感じ、非常に重要だと思いました。
そのようにして、子供が自分で思っていることを言語化することを支える声掛けと言うのは非常に重要だと思う反面、やはりすごく難しいものだなとも思いました。
上述の実践は、子供が自分たちのイメージを膨らませて仲間達と共有することができた良い事例ですが、声掛けの仕方によっては保育者がイメージを膨らます方ではなく、例えばそれがあたかも「正解」だと思わせてしまったり、偏った意見を伝えることになったりする恐れもあるのかもしれないと思いました。
また、「どう思う?」と私も聞いてしまうことがよくあるので、反省だなぁと思いました。
「どう思う?」では子どもは言葉を紡ぎにくい。ならば上述の保育者さんをお手本にして、具体的に自分のイメージや意見を少し伝えて子どもの意見を引き出してイメージを共有する方向で声掛けをしていこう。そうすることで、お互いの考えていることを言葉で伝え合うことができ、子供たちの言葉の広がりや豊かさにも繋がっていくだろうと感じました。
上述のように保育者や園長先生が考慮して保育に当たる保育園や幼稚園が間違いなくあると考えると、子供たちの心身の発達を促す保育は、本当に奥が深いと感じます。
こんなに視点がさまざまで、実践も多様、しかもそれが子供たちの心や体の栄養になっていく、未来の社会を作っていく保育と言う仕事は、本当に尊く素晴らしいと改めて実感します。
同時に、この素晴らしさを、もっともっと多くの人に認知してもらい、広めていきたいと強く感じました。
そのために私ができることをぐるぐる考えたのですが、まずは少しずつでも自分ができる発信の仕方を模索して実行していくことから始めようかな~と考え中です。
では今日はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました!
hona
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?