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一年の計は…

代務寺院の善徳寺は年始参りがある。12月30.31日は茂原の妙光寺でお参りがあるから、三日間連続である。

毎年だが、寺報の発送準備をしつつで、慌ただしいのが年末だか、年始はある程度、目鼻がついて読書をしつつ待つことになる。

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今年はこれらを読みつつだが…実は一冊も新刊本ではなく、メルカリやブックオフで購入したものだ。

複数を並走読みしると混乱することもあるが、ストレスが貯まらないのでよい。

多くは読書会のメンバーからの紹介なんで、その方はなぜ本書を選んだのか?を考えながらよんだりしている。

本を読む、考える、紹介する。

更には、オンラインでデス・カフェや『生・老・病・死を考える十五章』を読むといったワークショップも昨年は行ってきました。『生・老・病・死を考える15章―実践・臨床人間学入門 (朝日選書)』

これらは皆、やって見たくてできないとあきらめていたことでした。やりたいと口に出したら、賛同し手伝ってくださる方がいて、実現できた。

後は…オンラインだけでなく、オフラインで、寺でもやりたいが、寺以外でもやってみたい。対話の向こうに見える世界を…

仏教は諸行無常を理、世の常道と考え、生老病死と向き合う過程で否応なく自己の欲望と向きあってしまう。そこから苦しみが生じると考えました。生きづらさを感じるからこそ、出家し修行し、欲望をコントロールする解脱を目指す。ある意味、今ある私という殻、ある種枠を超えるがある。大乗仏教は私だけでなく他者もその枠を超えようと促します。

そこにあるのは考え、行動変容だと思う。ウチの宗派は、宗教はではなく。苦の本質と向き合うことでしょう。ワークショップでは具体的な苦を想定し参加者に突きつけています。時に参加者の方々が苦しみ、唸り、考える。そこから、何かを見つける。それは自己の根源へ帰る旅なのではないだろうか?これがおそらく私なりの仏教へのアプローチであり、ある意味の布教だと思う。

根源に帰る旅にコロナは、私に促したのかもしれない。まだ旅の途中、教えを説き、説得するはあまり得意でない。説明し、選んでもらう。正しければ、優れていれば、時がくれば自ずとそうなるのではないか?

高橋卓志先生の『生き方のコツ 死に方の選択 (集英社文庫)』 は元の題名はインフォームド・チョイスであり、説明と納得のインフォームド・コンセントでなく、説明と選択であった。

本書は実は、私のおそらく生涯に渡る課題を突きつけている。それに至る方法を探す旅をおそらくしてきたと今は思う。

従来の宗派仏教は、教義を押したて、セールスすることをしてきた。個人的には、洗脳に近いと感じている。

それは、僕のように口下手で、疑い深い人間には違和感を感じる。教義を押し付けるのでなく、立ち止まって考える。それも抽象的でなく具体的な問題として、答えはそれぞれ違ってよい。いや違うべきたとさえ思う。

でも、それを聞かせて欲しい。私はあなたにはなれないし、ならないが、共に考えることで、私もあなたも寛容になれる。自分を客観視できる。他者の意見を聞くことで、自己を見つめることをさせて貰える。これは、個人的には仏道修行ではないかな?なんて思う。

嫁さんの話は聞けないのだけど…


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