今シーズン2度目の「椿姫」_2019年12月6日
2019年12月6日、今シーズン2度目の、オペラ「椿姫」を観てきました。
ミルト・パパタナシュさんの演じるヴィオレッタは、本当に素晴らしい。演技力、歌唱力、美しさ。すっかりファンです。
彼女の表現を通して、今回「椿姫」で理解できたことが、大きく2つあります。
いずれも第3幕。
1つめは、アルフレードの父ジェルモンの強要によってアルフレードとの別れを選んだ、ヴィオレッタの命の灯がいよいよ消えようとしている時。
ジェルモンから届いた手紙に記されている、
「全てを息子に告白した。2人とも急いであなたの下に向かう」という文面を読み、
「遅いわ!」と叫ぶシーン。
これまで私は、この手紙がヴィオレッタの元に届いた直後であると思っていたし、
「遅い」という言葉は、ヴィオレッタの恨みごとだと思っていました。
「今さら遅いわ! 事実を明らかにしてどうなるというの。だって私、もう、命が尽きそうなのに」と。
でも、ヴィオレッタは何日も前に届いた手紙を大事に読み返していて、ただ愛の下に純粋にアルフレードの到着を待ちわびていたのです。
毎朝目覚めては今も命があることを確認し、命が尽きる前にアルフレードに間に合ってほしいと心の底から願っていたのだと、ミルトさんの表現で知りました。
そして、ようやく再会し、2度と離れないと誓い合った直後に迎えたシーンに、2つめの発見がありました。
「もっと生きたい」
そう願いながらも、病による痛みに悶絶している瀕死のヴィオレッタ。ふと全身の痛みが消える。
「不思議ね、痛みが消えた。そして力が溢れてきた。うれしいわ!」
そう歌い上げた直後。
わずかな違和感がありました。
ミルトさんの口は次の言葉のために開いていたし、表情も、今にも続きを歌い出しそうでした。
にも関わらず、そこで歌は終わり、彼女を残して音楽だけが流れていた。なぜなら、すでにヴィオレッタの命は尽きていたから。
これまで私は、悲しい結末ではあれど、アリアは毎回歌手によって最後まで歌い切られていると思っていました。
でも、今回は「大事なラストの言葉を聞き逃したか?」と、こちらがわずかに不安を抱くほど、余韻を残したまま歌は終わっており、
歌詞が無い部分にこそヴィオレッタの感情が結晶していたのです。
そして、その一瞬こそが本当のラストシーンであると、ミルトさんの表現によって理解できました。
また、1回目を見た時にも書かせていただいたのですが、オケの奏でる音に感情の”うねり”があり立体的だったので、ミルトさんが歌う前から、全身の痛みが消えたことが伝わってきました。
文末になりますが、今回の舞台芸術もすばらしいものでした。
この世で最も軽い生地である、エアーオーガンジーで作られた幕が見せる表情の、なんと豊かだったことか。
オペラの冒頭で、幕が繊細に波打つところは水のたゆたいの様で、はらりと降りた幕が回収される瞬間は、煙が遡っている様。「椿姫」が、すでに亡くなっている女性の悲恋の回想であることが、この一瞬で伝わりました。
周囲の人たちとともにスタンディングオベーションをしながら、「オペラは総合芸術である」と、心から実感しました。
神様、アリアとう!
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