堀 香織

ライター/編集者。雑誌『SWITCH』の編集者を経て、フリーに。『Forbes JAPAN』、Yahoo!ニュース特集ほか、各媒体で人物インタビューを中心に執筆中。ブックライティングに是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』、小山薫堂『妄想浪費』など。

堀 香織

ライター/編集者。雑誌『SWITCH』の編集者を経て、フリーに。『Forbes JAPAN』、Yahoo!ニュース特集ほか、各媒体で人物インタビューを中心に執筆中。ブックライティングに是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』、小山薫堂『妄想浪費』など。

マガジン

  • つれづれ

    家族や恋や思い出などをつれづれに……。

  • 日本酒サロン粋──あの日、あの人、あの時間

    金沢生まれ、東京育ちのライター兼編集者が一念発起して京都で日本酒サロンを開業。オープンは2024年(令和6年)6月6日の大安。店ができる前にしたこと、店での出会いや再会を綴ります。

  • 仕事いろいろ

    フリーランスライター・編集者としての、仕事について。

  • お水の花道

    酒場でのアルバイトについて綴る不定期連載。ちなみに働いた場所は、歌舞伎町、六本木、ロンドン、赤坂見附、学芸大学、銀座、鎌倉、京都(現在進行中)。クラブ、キャバクラ、カラオケスナック、ミニクラブ、日本酒バーを経験しています。

  • 梅湯、徒歩3分。

    いつか住もうと思っていた京都に引っ越した。住まいはシェアハウス。近くには以前から通っていた銭湯がある。高瀬川沿い、いわくつきのエリアを舞台に、出会いと友情と愛と別れなんかを綴ってみる予定。

最近の記事

虹色の羽根

2010年にうけた、ちょっと不思議な「セッション」の投稿(以下)がふいに現れ、すっかり忘れていたので、自分でも新鮮に読んだ。 2010年は39歳で、ゆるく婚活をしていた。あれから14年。このセッションの最後に現れる「虹色の羽根」は、結婚や妊娠、出産、子育てを含んだ「家族」はもたらさなかったけれど、代わりに「京都移住」や「酒場の店主」「ライターから文筆家への移行(途上)」「尊敬できる恋人」をもたらしてくれたと思う。だいぶ幸せです。           *** 5年ぶりに

    • トランジットで過ごす場所。

      ↑ のつづきのお話。 一昨日、武蔵野美術大学(ムサビ)時代の同級生、稲次くん(いなちゃん)から「今夜お店はやってる? イケオジのスペシャルゲスト同伴します」と連絡があった。 いなちゃんは現在、京都の美術高校の教師をしていて、この8月に竹上くん(たけちゃん)に連れられて店に来てくれた。31年ぶりの再会だった。そのいなちゃんが「イケオジ連れてくる」と書いてきたので、なんとなく同僚の美術教師と来るのかなと思っていたら、入ってくるなり、「はい、この人、だーれだ」と言われる。目を凝

      • 保健室の先生になりたい。

        店でもプライベートでも、誰かと2人きりのときに、ふとその人の人生観や有り様に触れるほどの深い話を告白されるのは、自分がインタビューを生業にして30年で、話しやすい雰囲気を醸成できているからかなと、なんとなく思っていた。なんならその日初めて会った人や数回しか会ったことのない人(男女問わず)を家に泊めたことも何度となくある。単なる世話焼きのおばちゃん的な。 で、久しぶりにこの「魔法の紙。」を読み返して、「そうか、自分は保健室の先生になりたいんだ」と理解した。 人と人が出会って

        • 墨で描かれた海。

          あるときふと、友人としての縁が復活したらいいなと思える元カレたちの名前をFacebookで検索し、「覚えていますか。堀香織です」とメッセージと友達申請を送ったことがある。「覚えてるよ。元気?」とたいがいの相手は申請をOKしてくれた。その後、実際に飲みに行った人もいれば、一度も逢わないままの人もいる。 昨日、武蔵野美術大学(ムサビ)時代の同級生、竹上くん(たけちゃん)と稲次くん(いなちゃん)が来てくれて、その話になり、いなちゃんに「普通、女の人って昔の男にこだわったり連絡とっ

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        • つれづれ
          58本
        • 日本酒サロン粋──あの日、あの人、あの時間
          12本
        • 仕事いろいろ
          33本
        • お水の花道
          9本
        • 梅湯、徒歩3分。
          5本
        • 光を閉ざしたアトリエ
          8本

        記事

          ちょっとした静けさの正体。

          「最初で最後のバースプラン。」の続きです。 2007年5月6日。梓ちゃんに「紹介したい友人がいる」と言われ、中目黒のバー「PURPLE」で22時くらいに待ち合わせをした。その友人というのが、マオだった。 当時、マオは24歳で、一回り下の亥年。著名なカメラマンのアシスタントをしており、梓ちゃんから雑誌『SWITCH』の編集者をしていた人と知り合った、と聞いて会いたいと思ったそうだ。 三重県で生まれ、京都の芸術系の大学に進学し、カメラマンになるために上京。そんな自己紹介的な

          ちょっとした静けさの正体。

          最初で最後のバースプラン。

          大好きなカメラマンのマオが、大好きな小説家の梓ちゃんを連れてきてくれた。 17年前の2007年5月、親友のMに子どもが生まれた。「カオルもよかったら立ち合わない?」と誘われ、私は出産立ち合いという本当に稀有な経験をさせてもらった。そこにいたのが、梓ちゃんだ。(正確に言うと、そこにはMの夫、Mの叔母と従姉妹、Mの親友とその娘、Mの出産撮影をサポートするカメラマンアシスタントもいた。) 梓ちゃんは「ダ・ヴィンチ文学賞」の大賞を受賞し、2006年に『ようちゃんの夜』で作家デビュ

          最初で最後のバースプラン。

          誕生前夜。

          昨夜、寝る寸前に、写真家のMOTOKOさんの投稿を読んだ。 京都、くるり、スピードスター、観光、日常、非日常、価値……などについて、非常に手触りのある、時間と風景とが立体的に屹立してくるとっても素敵な文章で綴られており、2年半前に京都に移り住み、3カ月前に小さな店を始めた自分の心にすうっと染み入った。 途中で書かれていたくるりの「その線は水平線」をApple Musicでかけ、引用されていた岸田さんのnoteの投稿も読んだ。 「デモ音源を聴いた映画監督の是枝裕和さん(当

          誕生前夜。

          あなたのわかる言語で愛の歌を歌う。

          昨晩、台湾人のカメラマン、チェンさん(Mingsheng Chen)が来てくれた。 チェンさんとは前日、バー「powder room」で知り合った。去年同様、サマソニ(今週の土日開催)を見る目的で来日し、大好きな京都で過ごしているという。聞けば、すでに20回は京都に来ていて、一度住もうとしたらしいが、コロナで断念したとか。 早い時間から来てくれたお客様がみな帰ったので、二人きりとなったところでチェンさんが「ライターとしてどこで何を書いているのか」と聞いてきた。「主に人をイ

          あなたのわかる言語で愛の歌を歌う。

          ささやきの森に。

          その日は小雨だった。 開店準備をほぼ終え、化粧をしていると、「もうお店は開いていますか」と声がする。慌てて化粧室を出ると、扉の前に女性がひとり立っていた。私は「準備がまだ終わっていなくて恐縮ですが、雨ですし、よかったらお入りください」と中へ招いた。 化粧をし終えて出ると、彼女は壁にかかっている吉見紫彩さんの絵をじっと見つめていた。「写真、撮ってもいいかしら」と尋ね、あらゆる角度から撮影し、また絵に近づき、じっと見ることを繰り返す。私はその間におしぼりとお通しを用意し、彼女

          ささやきの森に。

          ブビンガのカウンターテーブル。

          昨年11月、ひとりの女性と出会った。通称、マダム。東京在住だが、紹介してくれた方曰く「普請道楽」であり、京都でも3軒購入して、それぞれ特別な飲食店を開こうとしていた。 そのうちの1軒が、木屋町沿いの2階建て一軒家の物件。1階には祇園の商業ビルの地下にあった金沢おでんの店が移転することになっていて、2階を日本酒バーにしたがっていた。それで「話、聴いてみる? 初期投資はするって言ってるよ」と言われ、紹介していただいたのだ。 待ち合わせ場所は室町の北京料理「膳處漢ぽっちり」だっ

          ブビンガのカウンターテーブル。

          新しい傘。

          今日、傘を買った。 気に入っていた傘を昨年無くしてしまい、そのあと貰い物の傘を使っていたのだけど、それも先日無くしてしまって、だったらやはり気に入っていた傘と同じものを買おうと思ったのだ。 もとの傘は2017年5月に買った。そのころ、「ビニール傘はなくしてもたいして惜しくなく、結局何本も買ってしまう。気に入った傘は大事にするからなくならない」というのを何かで読み、本当にそうだよなと思ってネットで和傘の柄をしらみつぶしに見て、豊臣秀吉を支えたとかいう竹中半兵衛の家紋「九枚笹

          新しい傘。

          サガンはここに。(2023年12月9日記)

          祇園北、白川筋からちょっと路地を入ったところに、「サガン」というクラブがある。 昨年9月にいまのマンションに越し、ある夜、四条河原町方面から帰宅する途中に光る電飾看板を見つけた。ママがフランソワーズ・サガンを好きなのかな。いや、白川のそばだから、「左岸」という意味かも。でももし、サガンを好きなママなら、文学や本を愛する客がたくさん集う店かもしれない。夢想は止まらなかった。 そうしてまだサンダルとワンピース一枚でよかった今年の夏の終わり、私は神戸在住のOさんと「日本酒BAR

          サガンはここに。(2023年12月9日記)

          紫青赤黄白黒。(2007年7月28日記)

          高校2年生のとき、すごく好きな人がいた。 日本史の先生だった。 40歳。卒業生をヨメにもらって、子供が2人いた。もともと人気のある先生で、私も例に漏れず、授業を受けていて、その考え方に共感し、立ち居振る舞いがカッコよくて、声もステキで、そのうち「うちの愚妻が……」という言葉にもきゃあきゃあ言う(心の中だけど)ようになった。 現代国語の授業で与謝野晶子の 「やは肌のあつき血汐にふれも見で          さびしからずや道を説く君」 を習ったとき、その短歌と「

          紫青赤黄白黒。(2007年7月28日記)

          【それぞれの最終楽章】離婚した両親をみとって

          今日から朝日新聞 週末別冊版「Be」の「それぞれの最終楽章」にて、連載が始まりました(全7回を予定)。 テーマは「離婚した両親の、それぞれの看取り」。費用や制度についても触れますので、気になっている方の参考になれば幸いです。 もともと1800w前後の長い原稿を、紙面用に900wまで短くしているので、紙面はほとんどエッセンスみたいな感じです。有料ですが、ともに朝日新聞デジタルで読めますので、ご興味あればぜひ。土曜に紙面と同じ短い原稿が、日曜に長い原稿が配信されます。 第1

          【それぞれの最終楽章】離婚した両親をみとって

          割烹でアルバイトを始めるの巻③(7月11日記)

          葉山在住のTさんから「明日、日帰り京都出張なんだけど、夜、時間ある?」と連絡あり、土曜日に会った。 19時にうちの近くの「安東」という焼肉屋に行き、30分ほど祇園を散歩したのち、21時20分に「わしょく宝来」の大将から「席、空きました」と連絡があったので、向かった。 「宝来」とは、私がアルバイトをしている割烹だ。最初に行ったのは昨年の8月。その後ひとりで、もしくは友達を連れて何回か行き、先月の6月23日から働き始めた。アルバイトとして雇われてからお客として行くのはこの日が

          割烹でアルバイトを始めるの巻③(7月11日記)

          割烹でアルバイトを始めるの巻②(6月28日記)

          昨日は割烹でアルバイトだった。 夜の部は19時〜最大26時とのことだったが、終わったのはまさに25時半で、賄い飯を食べて帰った。食べたら太るとわかっていたけど、19時から6時間半、休憩なしのノンストップ、トイレ以外は座ることもなく、ものすごーーーくお腹が空いていた。野菜のたくさん入ったスープと白飯、チキンカツ、小鉢。ビールも飲んでいいよと言われ、いただいた。とても美味しい賄い飯だった。 昨日はホール業務(接客)はなくて、ほとんど皿洗いをしていた。店は前半16時半〜19時2

          割烹でアルバイトを始めるの巻②(6月28日記)