あなたのわかる言語で愛の歌を歌う。
昨晩、台湾人のカメラマン、チェンさん(Mingsheng Chen)が来てくれた。
チェンさんとは前日、バー「powder room」で知り合った。去年同様、サマソニ(今週の土日開催)を見る目的で来日し、大好きな京都で過ごしているという。聞けば、すでに20回は京都に来ていて、一度住もうとしたらしいが、コロナで断念したとか。
早い時間から来てくれたお客様がみな帰ったので、二人きりとなったところでチェンさんが「ライターとしてどこで何を書いているのか」と聞いてきた。「主に人をインタビューしていて、たとえばForbes JAPANでは社長さんを150人くらいインタビューしたし、SWITCHという雑誌では是枝裕和監督とCoccoという歌手を長く取材しているよ」と答えると、「是枝裕和! 大好きな監督です」と言う。そうだ、私がブックライティングした『映画を撮りながら考えたこと』は、台湾でも出版されたじゃないか。そう思ってネットで検索して台湾版の表紙を見せると、「おおお、これ読んだ! すごい! あなたが書いたの?」と大興奮。いやー、人生初のあの本を読んでくれた外国人と初めて出会ったよ。書いてよかったわあ。
その後、彼は台湾人の夫婦を呼んでくれた。私以外は台湾人3人。店に台湾語だけが響き続ける。私はシンクに溜まっていた皿やグラスをゆっくりと洗いながら、彼らの声を聴く。
自分が理解できない言葉をそばで聴いているのが私はとても好きだ。たとえば中国人の知りあいができたとき、中国語翻訳・通訳を生業にしている友人のえんちゃんと3人で食事に行き、ふたりには北京語で話してもらった。韓国人の恋人がいたときは、ソウルに帰国していた韓国人のソンジュに電話し、韓国語で話してもらった。何を話しているのか、私にはさっぱりわからない。ときどき気を遣って日本語に翻訳してくれるけど、してくれなくてもぜんぜん構わない。そこにはメロディアスな音の響きだけがある。自分の知らない言語で豊かな文化が築きあげられていることを、あらためて認識する。久しぶりにそんな時間を過ごした。
夫婦がホテルへと帰り、入れ替わりに京都新聞社のYさんと東京在住のIさんがやってきた。京都の送り火の話などで場があたたまったので、23時半にラストオーダーを取りつつ、私は提案した。「みんなでおそば宝来に行かない?」。特にチェンさんに美味しい深夜の割烹メシを食べてもらいたかったのだ。
かくしてみなでタクシーに乗り込み、24時にはカウンターで乾杯と相成った。鳥肝煮、たこのやわらか煮、ミニトマトのおひたし、刺し盛り、からすみ餅、鯖寿司をちょっとずつ食べる。チェンさんはハモを人生で初めて食べ、そのハモの骨切りを撮影したいと言って、実演してもらった。私たちはその動画を「日本一のハモ切り名人は京都のおそば宝来にいた!」と台湾でバズらせて欲しいとお願いした。最後にお蕎麦をちょっとずつ食べた。
それで充分な夜だったけど、歌いたくなって4人でカラオケスナック「ロペ」に向かう。台湾にはカラオケボックスはあるけど、カラオケスナックは少ないらしく、「すごいすごい」と言ってチェンさんは終始笑っていた。私は中国語で唯一歌えるフェイ・ウォンの「我愿意」を歌った。SWITCHに勤めていたときに社員の一人が上海人と結婚することになり、上海で行われた結婚披露パーティーの余興のためにSWITCHバンドが結成され、歌ったのだ。カタカナで覚えただけの発音もかなり怪しいものだが、そのときも昨日も、「あなたのわかる言語で愛の歌を歌います」という意図だけは無事伝わったようだった。
3時にロペを出て、みんなとハグし、解散。「週6勤務のうち、アフターは2回」と決めていて、早速その1回を使ったなあ、でも楽しかったなあなどと思いながら帰途に着く。
チェンさんからは写真とともに素敵なメッセージが届いた。
「今日は本当に楽しかったでした、文化の衝撃 本当に驚いた。かおるさんをあいたのことは今回日本の旅に一番最高です。京都を切ったら絶対お店をまだ行きます。」
伝わる、ということは、なんて豊かなことだろう。
(2024年8月16日)