2024年10月16日(水)大石宗磨のお誕生日会(満53歳)
今日は私の誕生日だった。
今日は私の誕生日だった。
1971年10月16日に生まれて、今日は2024年10月16日(水)の53回目の誕生日だった。
私の家は母と父との三人暮らしです。
両親の年金で細々と暮らしています。
私は父の年金の扶養家族となっているので一切手取りはありません。
父から食事を恵んでもらっている身分です。
父を看護する。
父は膀胱がんを患いストーマという人口膀胱をお腹につけている。
父は障がい者手帳2種4級だそうだ。
障がい者用の駐車場優先カードも持っている。
これが在れば優先駐車場で優先的に駐車できる。
父のストーマを交換するのは私の仕事です。
父一人では交換できません。
鎌ケ谷総合病院に父が入院している時にある女性看護師がストーマの交換は珍しいから見学させてくれと言ってきた。
私は「なんか変だな~」と思いつつ其の女性看護師に丁寧に教えた。
なんだか私のストーマ交換をチェックされているように感じた。
何故なら父は感染症に罹り抗がん剤の化学療法を延期していたからだ。
この感染症の原因が僕のストーマ交換にあるという嫌疑がかかったのかと考え心配になった。
母を介護する。
母は子宮頸がんに罹り子宮を摘出した。
しかし抗がん剤の直後に医療保護入院されてしまった。
父が医療保護入院を手配したらしい。
私は当時心労や就職の失敗でかなり落ち込んでいた。
其の中で母の大病があり衝撃を受けていた。
母は5年生存率を考える段階で自らの余命を考えて絶望していた。
そして父は母を精神病院へ医療保護入院してしまった。
医療保護入院とは強制入院のことです。
私は当時、自らも父の手配によって千葉大学医学部附属病院の精神神経科へ通院していた。
だから母を守ってあげることが出来なかった。
実はそれが私にとってずっと心残りであり無念だった。
父は数年前に私も精神科へ医療保護入院してしまった。
私は父の手配によって千葉大学医学部附属病院の精神神経科へ強制入院された。
父は自分以外の家族全員を精神科へ医療保護入院してしまった。
自分以外の家族すべてを強制入院させてしまった。
現在の私の状況
現在は僕は父の看護と母の介護をしている。
僕と一緒に生きてくれるような人はいないようだ。
随分嫌な人生になってしまった。
そして今日2024年10月16日(水)は私の53回目の誕生日だった。
母も父も僕の誕生日を忘れていた。
衆院選公示(記述前投票開始)
そして今日は衆院選公示であり期日前投票が鎌ケ谷市役所で始まった。
僕はパソコンをバックに詰めて投票用紙を持って鎌ケ谷市役所へ向かった。
期日前投票の手続きをしてマイボールペンで記入してきた。
僕はドクターヘリに救助を求めた。
そして最高裁判官を3人残した。
鎌ケ谷市図書館本館へ
その後、鎌ケ谷市立図書館へ向かった。
初めて第二学習室でマイパソコンをアクセスしてみた。
僕が初めて買ったパソコンはFM-NEW7だった。
そして今外使いで使用しているパソコンはFMV-NKB10だった。
第二学習室で鎌ケ谷市図書館のフリーワイハイにアクセスし少し作業をして自宅に帰ってきた。
kamatan1
久しぶりの誕生会だった。(でも一人だった。)
今日の誕生会は私たった一人のお食事会だった。
調理は僕が担当した。
献立はアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノと玄米ご飯だった。
YOUTUBEでは乃木坂の二人が美味しそうに餃子を食べていた。
馬鈴薯
アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノと玄米ご飯を食べ終わって今日は特別にもうちょっと食べようと考えて冷蔵庫を漁っていたら馬鈴薯があった。
茹でで黒こしょうとピンク岩塩をかけて食べました。
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