積み重ねること、ゼロになること
26歳。
高校卒業ののち国家公務員になり、半年で退職。
その後の転職回数4回。
「これまで、何を積み重ねてきましたか?」
もし今そう聞かれたら、うまく答えられる自信はない。
積み重ねること
自分のやりたいことに忠実に生きてきた。
わがままな生き方、と捉える人もいるかもしれない。
それでも、様々な経験が今の自分を作っているのは本当のことだと思う。
積み重ね。
学生時代の勉強や部活、仕事、音楽の歌詞、何かの記事。
幾度となくこの言葉に触れてきた。
確かに、
何かを積み重ねることは大きな力になること
に繋がっていると思う。
そして、最近思うことは、
何かを積み重ね続けている人は顔が違う、ということ。
具体的にどんな風にどう違うのか、と問われれば答えに困ってしまうのだが、
顔つきが違うと感じる。
違うというと、何と違うんだとなるが、
違うというよりかは、顔つきに深みがある、と言った方が当てはまるかもしれない。
何かを積み重ねてきて、深みのある顔。
その顔に僕は魅力を感じる。
その顔つきは一日二日で手に入れることはできない。
積み重ね、をしてきた人だけが手にできるもの。
積み重ねの中にはきっと色んなものが詰まっている。
ひとつのことを積み重ねるにしても、
上手くいく日もあればそうでない日もある。
調子がいい日もあればそうでない日も、
うれしいことも悲しいことも、
新しい発見がある日も、
昨日との違いが見つけられない日もある。
そんな積み重ねをしてきたからこその顔。
僕はきっと積み重ねることが苦手だ。
だからこそ、簡単には手に入らない積み重ねてきた人の顔に魅力を感じるのかもしれない。
ゼロになること
ゼロになること。
これもまた素敵で、生きていくために必要なスキルでもあると思う。
生きていると、
誰かと出会って、その場にふさわしい服や言葉を選ぶ。
そうやって演技をしている瞬間があるのかもしれない。
演技をする、仮面を被ること。
それはもしかすると、悲しいことで、
そんなことをする必要はないことなのかもしれない。
けれど、そういった選択を重ねている。
無意識のうちにそちらを選んでいる可能性もある。
自分というものは、
自分の外側のどこかに探し出すものではなく、
自分の内側にあるものだと思う。
演技をする、仮面を被る日々を過ごしていたら、
そんな自分というものが奥の方へ埋もれていく。
ゼロになることは、埋もれた自分を思い出すこと。
ゼロになるために何もかもを放り出す必要はない。
なぜなら、
ゼロになるとは、自分を自分の中から思い出すことだから。
自分を思い出せなくさせているものは何か。
そこを見つめて、一つずつそれを脱いでいけばいい。
積み重ねること、ゼロになること
積み重ねることと、ゼロになること。
言葉だけ並べてみると、矛盾したふたつの言葉のようにも見える。
でも、ふたつは矛盾していなくて、きっと両立できるもの。
そもそも、二者択一でどちらかを選ばなければいけないわけでもない。
ゼロになるからこそ新しいことができる、積み重ねの続きができるのだと思う。