書評 山脇直司著『分断された世界をつなぐ思想 より善き公正な共生社会のために』(北海道大学出版会、2024年4月)
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分断された世界をつなぐ思想 ― より善き公正な共生社会のために | 北海道大学出版会 (hup.gr.jp)
温暖化、パンデミック、戦争、核の脅威、等々、地球規模の文明の危機が現実化しており、人類の危機を訴える文明論も盛んな時代である。
そこで多くの人が次のような思いや不安を漠然と抱いているに違いない。
(1) 人類を救うための「新しい思想」が必要ではないのか。それは「哲学」・「社会思想」などによるであろう。
(2) ところで、一方で「哲学」は個人の在り方から出発して人類全体に当てはまる普遍性を目指しているものが多く(カント哲学における「理性」など)、他方で「社会思想」は民主主義思想など社会の在り方を正面から問題にしているが、どちらも人類を救うものであるはずである。
(3) しかるに、「哲学」も「社会思想」も同じ文科系の思想であるのに別次元のものとして我々は教えられてきた。そのようなセクショナリズムのままで今日の地球規模の文明の危機を救う「新しい思想」など生まれるのだろうか? 「哲学」と「社会思想」を糾合した「総合的把握」は果たしてできているのだろうか?
残念ながら世界の知識人の間でこの「総合的把握」はなされていないどころか、その意識的努力すら少ない。
本書は現代世界において文明の危機の根本原因となっている、地球レベル・国家レベルなど、種々のレベルに見られる「分断」を防いだり修復したりするという問題に関して、20世紀以降に発達した「公共哲学」を核にした「総合的把握」によって対応し、その上に著者独自の新しい思想(「新思想」)を樹立するものである。
このような書は永年にわたって「総合的把握」に向けての問題意識を持ちつつ哲学・社会思想などに研鑽を重ねてきた著者において初めて可能となることであり、稀有の例であると思う。
また、本書は哲学と社会思想だけでなく宗教思想・自然観なども取り込んでおり、更に実に多様な論点に具体的に触れられていて(福祉・経済・教育・科学技術・スポーツ・・・)、読者はさながら「思想形成や思想的対話における参考書」としても活用できる書であることを見出すであろう。
ところで、「新思想」の前に著者はどのようにして「総合的把握」をしているのであろうか。
基本的には「哲学が核となって社会思想をも総合する」という考えによっている。著者は、「プラトン・アリストテレスからヘーゲルに至るまで*哲学は諸学問を横断する根源的で包括的な学問であった」と述べている。
「公共哲学」について、その冒頭で著者は広辞苑から「市民的な連帯や共感、批判的な相互の討論にもとづいて公共性の蘇生をめざし、学際的な観点に立って、人々に社会的な活動の参加や貢献を呼びかけようとする実践的哲学」という定義を引用している。
即ち、市民間・市民と知識人や政府等の具体的実践的対話を促すことを前提にしているのである。
次に「新思想」だが、重層構造を有しているのでここに詳述できないが、重要と思われる点を強いてピンポイント的に取り上げるならば次のようになるであろう。
「公共哲学」の中心的価値である「正義・人権・平和・福祉」を重視しながら、「滅私奉公」ならぬ「活私開公」(個人を活かして他人とかかわって公共に開花)・「無私開公」(私利私欲を抑えて「他人の公共活動」や「皆の幸福」に開花。政治家・公務員など)、「視野狭窄のローカリズムにも均質的なグローバリズムにも陥らない、特殊と普遍を行き来する『グローカル』」等が「新思想」の重要な要素として述べられている。
また、別途「共生社会論」の系譜が検討されており、そこから“WA”(「和」と「輪」)、「共福」「共苦」や「和して同ぜず」など、「分断」に陥らないための諸概念が提唱されている。また、「関係修復的正義」(謝罪→処罰→赦し。「人を排除しない」と「必要やむを得ざる処罰」のジレンマ克服の道)の概念も著者の強調する点であり、今日的意義を有していることも見過ごせない。
*但し、著者の視野は西洋哲学だけにあるのではない。前著『ヨーロッパ社会思想史(新版)』(東京大学出版会、2024年1月)の「新版の読者へ」に「グローバル的な視座でヨーロッパ社会思想史を相対化する」という視点が出されている。因みにこの前著は「総合的把握」を古代から現代に至るまで詳細に展開している書であり、思想史の書として実に希少価値があり、一読を勧める。
(評者略歴)
松田康男(まつだやすお):1951年熊本市生まれ。地球システム・倫理学会、比較思想学会(評議員)。著書に『文明破滅の危機と日本 日本人は世界を救えるか?』 (北樹出版、2020年)がある。