読書日記 2011年2月
読書日録2011年2月
(月刊『すばる』2011年4月号掲載)
父は本を読むのが私の四倍速い。
正月に帰省した際、ソファーの端と端に座り、よーいどん!で読み始めて確かめたので間違いない。
以前から速いとは思っていたが、目の前でページをひらひらめくりパタッと閉じて次の本へ手を伸ばされると唖然としてしまう。
本当に内容までわかっているのだろうかと疑って訊いてみると、この本のどこがどう面白いか理路整然と話し始める。
速読術などは用いていないが、ページを見ると重要な文章は周りから浮き上がって見えるという。忙しい仕事の合間に集中して読む習慣から生まれた技らしく、コツを訊いただけでは身につきそうもない。
私の読書スピードは普通だと思うが、寄り道やエンストばかりでなかなか目的地まで到達しない感じだ。
今年は少しスピードを上げて積ん読本の消化に勤しもうと思っている。
二月某日
その父の推薦図書、西條八十『女妖記』を読む。
西條八十の名は、小学校の音楽の教科書で童謡「かなりや」の作詞家として見たのが最初だと思うが、当時は「八十」を〝やそ〟とは読めなかった。
その後「東京音頭」「蘇州夜曲」「青い山脈」など歌謡曲の詞も手がけていることを知り、往年の売れっ子作詞家というイメージはあったが、詩人で仏文学者で早稲田大学の教授まで務めていたとはこの本を読むまで知らなかった。
『女妖記』は一九六〇年、六十八歳の年に刊行された小説集だが、自伝的なエッセイとしても読むことができ、自作の詩や小唄の一節をまじえたその文章から八十の多才ぶりが窺える。
さらに驚くのはその中味だ。四倍速、理路整然の父をして「こんなことが本当にあるのか?」と首を捻らせるような話の連続なのである。
タイトルから察せられるとおり、これは八十が人生の途上で出遭った妖しい女たちとの物語である。
八十は著者紹介を見る限り、どこにでもいそうな枯れた爺さんだ。
若いときの写真も見たが間違ってもイケメンとは呼べない。
ところがこの人、文壇と芸能界で高めた知名度をフルに生かし、芸者もファンも異国の金髪美女も食いまくりなのだ。
漁色家に近いことをやっているのだが、ダンディズムと端正な文章のおかげで下品なところは少しもない。
そして登場するのは、幻かあやかしのような不思議な魅力を湛えた女性たちである。
「どれも多少身に覚えのある艶話なのだが、尾鰭をつけて、たびたびしゃべっているうちに、どこまでが事実だか、フィクションだか、自分にもわからなくなってしまう」。
淡々とした語り口に妖気が漂う十一編のなかで白眉は「黒縮緬の女」だろうか。
まことによくできたゾクッとくる都市伝説である。
もし事実だとしたら「こんな(いい)ことがあってたまるか!」と叫びたくなる。
二月某日
繕う暇もなくまた別の場所が綻ぶ日本社会。
そのなかで就活と婚活に賭けるエネルギーだけが過熱していく。
誰も彼も沈みゆく船のマストのできるだけ高い位置まで攀じ登ろうと必死なのだ。
澁谷知美『平成オトコ塾 悩める男子のための全6章』は沈む日本の男たちに「こんな生き方、どうでしょう?」と上から目線ではなくあくまで対等な立場からオルタナティブを提案する。
「男たるもの……すべし」気鋭の社会学者である澁谷は、この思い込みがいかに男たちを追い込んでいるのか、豊富なデータを駆使して論じていく。
男性は仕事を通して家族に経済的な豊かさと精神的な安らぎを同時に与えようとしがちだ。
そのためいったん失業すると家庭における自分の立場も失い、失踪したり自殺したりする。
だが、経済的サポートと情緒的サポートを分けて考えることができれば、このような悲劇は回避できるのだという。
また格差社会のために結婚できない男性がいるという意見に対しては、たとえ格差が是正されたとしてもモテない人はモテないという身も蓋もない現実が明らかになるだけだと警告する。
自己啓発じみた婚活でボロボロになる必要はない。
モテない男は無理に結婚しなくとも男同士の友情を構築して生きる道もある。
それを絶望ではなく希望としてとらえられる社会。
平成オトコ塾・塾長澁谷知美と男たちは、そんな未来へ直進行軍ではなくダラダラとそぞろ歩きで向かっていくのかもしれない。
二月某日
日本丸が沈むか沈まないかの話ではなく、人間はそもそも「この世に生まれてオギャーといった瞬間から、タイタニック号に乗っているわけなんですよ」とやさしく語りかけるのは、杉作J太郎『恋と股間』。
おもに中高生の男子へ向けて書かれた恋愛論だが、中高年が読んでも思わず膝を打つ人生論になっていると思う。
J太郎はいう。「だいたい男なんて、同じ男から何か言われたって、絶対がんばりませんからね」男同士の関係は「認め合う」「許し合う」が基本なのでなかなか相手にダメ出しできないというのは卓見ではないだろうか。
しかし女性は、容赦なく男性を拒絶、ダメ出しする存在。
男性は女性に認められたくて自分の枠を広げようと努力する。
たとえ成就しなくても努力した痕跡は残る。
だから受け入れられなくても絶望するな、ストーカーになるな、と丁寧に諭していく。
青少年の健全な育成を願っているが、どう教育したらいいかわからないという人は、ぜひ本書を手に取ってもらいたい。
読んで納得がいったなら、どうか子供の手の届くところへ置いてほしい。
いや、J太郎は間違っている、と思った人はその考えをそのまま子供に伝えるといいのではないだろうか。