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#2 明日の自分に「問い」を贈ってみる

〈2024年11月|全文無料公開中です!〉


「せんせいの夢ってなに?」

「せんせいは大きくなったら何になるの?」

子どもに聞かれて、ハッとしました。

(これからどうしていきたいんだろう?)

しばらくそういった問いに触れてなかったことに気づいたのは、20代後半に突入した頃でした。


今はいくつか叶えたい夢があります。


その1つは、

12年後に論文を出すこと。

タイトルは、

「保育者の無意識が保育の営みに与える影響(仮)」

いま(2020年時点)探究を重ねているテーマです。
※2022年頃から「対話型保育実践の探究」が個人的なテーマになっています。

まだまだ目標になっていない夢の状態ですが、密かに燃えています。

今日はそんな無意識の領域からの話。

無自覚な攻撃

自分の足が踏まれることには敏感。
他人の足を踏んでることには鈍感。

数年前に聞いたこの言葉が心に残っています。

不思議ですよね。

電車に乗っていて、ほんの少し、足の先が踏まれると、

すぐ気づきます。

たぶん、1ミリ2ミリでも気づく。

けど、誰かの足を1ミリ2ミリ踏んでいても気づいていないことって

確かにありそう。

と、そのとき思ったんです。

当時、幼稚園で働いていたので、クラスの子どもや保護者に対して同じようなことをしていたとしたら…

それを考えるとすごく怖くなりました。

いつかの言葉が、相手の足を踏んでるような状況になっていないだろうか。

つまり、相手を傷つけているけど、私は気づいていない。

そんなことが起きていないだろうか?

そう思ったら怖くなったんです。

無自覚に相手を傷つける。

それをする自分は嫌だなとも感じました。

どんなに気をつけていたって、気づけないことはあるし、無自覚なんだから気づけなくて当たり前なんじゃないかとも思いました。

誰にだってあること。

けれど、そこはなんとかしたいと思ったんです。

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足を踏まないようにするのはもちろんですが、

足を踏んでしまったら気づけるようにする。

これって、差別や誹謗中傷の問題にもつながることだと思っています。

情緒で相手を攻撃するのは全く何も生み出さないですが、

無自覚に攻撃しているの気づいていない状況もとても怖い。

これは、「違い」があることを前提に、違ったままで互いに前進を生むコミュニケーションを大切にしたいという自分の想いとも大きくかけ離れています。

そこで、最近こんなことに取り組んでいます。

瞬間に意識を向ける。

頭の中がいつも忙しない。

食事をしていても、

PCに向かっても、

「あれどうなってたっけ?」

「あ、あれ忘れてた」

次から次へと湧いてくる。

ちょっとも「集中」していない自分に

「今」を大切にと言いながら、

「瞬間」に生きていない自分に気づいたときはショックでした。

それまで無自覚だったことにも。

メンタルでなんとかできる人はすごいなーと思います。

そんな能力はない自分にとってはトレーニングが必要でした。

筋力トレーニングの本を読んだだけでは、少しも筋肉がつかないのと同じように、自分の意識を扱うトレーニングが必要でした。

試して検証してうまくいかなかったら、手放してもいいし、やり方を変えてもいいし。

誰に言われるでもなく自分で決めてやってるので、失敗もおもしろがっています。

今日は、半年くらい前に始めたことを紹介します。

『マイ問い7』

問いの力は絶大です。

問いを立てた瞬間から、脳が答えを探し始めます。

「ひらめき」は何もないところから生まれるわけでもなければ、どこからか降りてくるものでもない。問いを受けて、あなたの脳が探し続けて、「見つかったよー!」という合図。それが「ひらめき」

というくらい強烈な問いの力を使って、意識の向け方をトレーニングしようというのが「マイ問い7」です。

カードでもスマホのメモでも手書きのメモでも、ふとした瞬間に眺めるようにして、自動操縦モードになっていた自分に気づいて意識を向けてみる。

瞬間を味わう。

いまを味わう。

不思議なもので、心がふっと軽くなったり、やる気のようなものが湧いてきたりするんですよね。

瞬間に意識を向けようとするとき、間が生まれる。
瞬間に意識を向けることで、余白が生まれる。

そんな感じがしています。

良質な問いは自分への思いやり。

定期的に、問いを見直すことが必要なのですが、

ちょっとくしゃくしゃになったマイ問いカードを見て、

問いのメンテナンスのタイミングなんだなと気づいた秋の入り口。


さて、自分にどんな問いをプレゼントしよう?


明日の自分に贈る「問い」で、いまの自分にも良い影響が起こることを意図して。

vol.2 ー2020年9月1日ー

〈写真は、初めてつくったときの「マイ問いカード」〉

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疲れて家に帰る途中、ふとこのカードを見たとき、なんか感動したんですよね。過去の自分からのメッセージのように感じられて。文字にすると変な感じなんですけど、グッときたんです。これも私にとっては豊かな時間。

こうして自分の状態を確認してメンテナンスをすることで、他者への貢献につながることを信じています。

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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