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読書日記その535 「武士の紋章」
おのれの志を貫いた武士(おとこ)たちの魂を描いた短編集。
【智謀の人・・・・黒田如水】
いろいろと諸説はあるが、ここではあわよくば天下を取ろうと、野心をうちに秘める如水が描かれている。幽閉時にひそかに決意し、関ヶ原の戦いでは、如水は九州一円を平定。さあいよいよ東上かという時に如水のもとに悲報がとどく。
東西両軍が激突した関ヶ原の戦いは、たった一日で西軍が完膚なきまでに壊滅してしまうのだ。もとより家康が勝つであろうと読んでいた如水。関ヶ原で家康と戦うことになれば、家康に従っている息子長政を引き入れるはずだったのだ。
夢ついえた如水は、関ヶ原から4年後の1604年に大往生をとげる。日本歴史上、彼ほど智謀縦横に優れた人物はいなかったのではなかろうか。うちに秘めた野心を燃やし、漁夫の利を得ようとする如水……好き♥
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【武士の紋章・・・・滝川三九郎】
「真田太平記」で登場した滝川三九郎。彼は実在した人物だが、どのような人物だったかは不明。そこで池波先生は、彼の履歴から想像で描くのだが、これがまたとてもよく描かれているのだ。
「川に水のながれるがごとく環境にさからわず、しかも三九郎は一度も自己を捨てたことがない」
三九郎は池波先生が好んだ人物のひとり。おそらく池波先生が描いた三九郎の生き方というのは、自身がこうありたいと憧れる生き方だったにちがいない。ボクもこれからの人生を、三九郎のように生きたいものだ。
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【三代の風雪・・・・真田信之】
真田幸村の兄、信之もまた激動の人生だった。戦国時代はもちろんだが、家康の没後、将軍秀忠の時代に信之は幾度となく取り潰しにあうのだ。しかしそこは乱世という修羅場をくぐりぬけてきた信之。秀忠のはかりごとなど、ことごとくはね除けていく。
幸村のような派手さはないが、真田家の血を絶やすことなく、天寿を全うする。行年93歳。よき人生だ。
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【首討とう大坂の陣・・・・真田幸村】
父・昌幸は天下に知れる武将であったが、幸村はこの大坂の陣までは無名の存在。ただ真田の血を引く者として大坂方に取り立てられる。
ところがこの大坂の陣で、幸村は見事な戦いぶりを見せることになる。冬の陣では真田丸を構築。夏の陣では一隊をひきいて家康本陣をめざし、疾風のごとく襲いかかる。
最後の最後の最後まで、力のかぎり闘いぬいた姿は、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評され、真田幸村の名は全国に知れわたることに。いや、この活躍で幸村だけでなく、真田三代が歴史に名を刻むことになったのでは。
池波先生曰く、
「真田幸村という武将は、日本の戦国時代の終末にあらわれた最後の『戦場における芸術家』であった」
ボクもこの大坂の陣における幸村の勇敢な闘いぶりは、何回読んでも胸があつくなる。
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【決闘高田の馬場】
若き日の堀部安兵衛が高田馬場において、恩人である菅野六郎左衛門へ助太刀する闘いぶりが描かれている。これがおもしろい!
村上庄左衛門に果たし状を突きつけられる老人菅野。村上は8人の助っ人を呼ぶが、菅野は単身で決闘場へのぞむ。
それを聞いた安兵衛は、いちもくさんに高田馬場の決闘場へ。そこからの斬りあいがじつに軽快。安兵衛ほか剣士らの斬りあいの躍動感あふれる文章は、まさに池波文学の真骨頂。長編の「堀部安兵衛」も読みたい!
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【新選組生き残りの剣客・・・・永倉新八】
浪士隊の創立より新選組の隊士として、剣名高き活躍をし、大正まで生き残って76歳の極楽往生をとげた永倉新八の短編。新八は戊辰戦争において、賊の汚名を着せられ東北米沢まで敗走する。
とはいえ、約260年続いた江戸時代という天下泰平は、武士の魂を薄れさせたか、それとも新八の性質か、ここで腹を切ろうという気にはならなかったようだ。それが彼に長寿を与えた。
そんな永倉新八を、大河ドラマ「新選組!」ではぐっさんこと山口智充さんが演じる。池波先生は新八を、「いたずらっぽい瞳をくりくり動かして力一杯暴れ廻り、」と表している。まさに、ぐっさんッ!
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【三根山】
三根山は戦前戦後に活躍した実在する力士。名は島村島一。一時は大関まで登りつめたが、ケガや神経痛などがひどく、晩年は平幕まで転落。病む体を引きずるようにして臨む34歳の秋場所初日から千秋楽までが描かれている。これがまたシブいのだッ!
「病気にさいなまれ、転落しながらも、少しも自暴自棄にならず、誠意をこめて闘い、再起を目指す島一に、見物は無意識のうちに『人生』を感じているのだ」
切ないなぁ……。しかし人は必ず老いてゆくもの。その老いを受け入れることによって、むしろ人間的な強さみたいなものがにじみ出てくると思うのだ。
人はみな「自分はまだ若い!」と思いたいもの。その気持ちもわからないわけではないが、しかしそう思ってる時点で、老いを受け入れられないという心の弱さを、ボクは感じるのだ。なにごとも受け入れられる心をもつ人は、生き方がとても丁寧に思える。
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【牧野富太郎】
「日本の植物学の父」といわれた明治の植物学者。95歳で亡くなるまで、日本全国をめぐって膨大な数の植物標本を作成した。
人生すべてを植物学にささげる富太郎さん。キチガイのように野や山を歩きまわり、珍しい植物があると顕微鏡で見ては、分解図を自分で描いたという。借金をしてでも研究を続ける生活は非常に貧しく、奥さんの寿衛子さんはたいへん苦労されたようだ。
その膨大な標本と資料、論文、そして世界から注目をあびるようにある「大日本植物志」の出版。その才能をねたまれて大学の研究室から追放されることも。また富太郎さんの成功を見ることがないまま、最大の理解者であった寿衛子さんは亡くなる。なんとも悲しいことよ。
そんな富太郎さんの研究が日の目を見るのは、なんと70歳を超えてから。日本文化功労者として年金を受けるようになり、天皇陛下にもご進講。その他さまざまな賞を受賞した。
絶えず絶望状態を繰り返しながらも、95歳までひたすら仕事を続ける富太郎さんこそ、大器晩成の最たる人物ではなかろうか。