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読書 - 『RANGE - 知識の「幅」が最強の武器になる』から学ぶ多様なキャリア論

『RANGE(レンジ)知識の「幅」が最強の武器になる』を読んで面白かった内容と個人的な意見をシェアします。

先ずこの本を読んだ動機について。私の場合、好奇心旺盛なので興味を持った͡コトに対しては、「とにかく何でも自分でやってみたい」と思う性格です。一方、ことビジネスにおいては「選択と集中」という言葉があるように、リソースが分散しては一点突破の競合に勝つことは困難です。そのため絞り込むことの重要性を勿論理解はしているので、自分の中である種の葛藤があります。理想と現実ですね。そして現実には、その妥協点を模索してトライアンドエラーしながら妥当なバランスを模索しつつ日々仕事してる状況です。

この本では、キャリアにおける「専門特化」が幅を利かせる昨今に対して警鐘を鳴らし「効率性とか言っていないで、もっと無駄だと思えることをしてもいいんじゃないの?周り道してもいいんじゃないの?」というメッセージが暗に伝わってきます。洋書にありがちな様々な分野における事例がこれでもかという位に盛り込まれているのでボリューミーなのですが、特に面白かった内容は以下です。


■ 早期専門特化の有効性は環境による

筆者は冒頭で英才教育を幼少期から受けてきたタイガーウッズの事例を挙げています。曰く、ウッズの事例は前提条件を無視した形で早期専門特化のサクセスストーリーとして拡がっていることに警鐘を鳴らしています。

理由として、先ずゴルフやチェスといったある程度の型が決まっていて、かつその場で即座のフィードバックがある環境下(親切な学習環境)では、早期専門特化は有効であるとのこと。一方で、多くの人々の人生のキャリア選択の前提の環境は、不確実、不規則でありフィードバックがすぐにあるわけでもない(意地悪な学習環境)ため、色々な経験なくして絞り込むのは危険であり、早期専門特化が良いとはいえないと主張しています。

アスリートをみて、早々に一つに絞り込み、かつストイックだからこそ実績を残せたんだとするサクセスストーリーは多いですが、一般的な我々社会人が置かれている環境は異なるため、アスリートを見習って同様に早期に専門領域を絞り込み、後はストイックになれば結果も出て自分も満足する、とは必ずしもならないわけですね。


■ 85%が熱心に仕事に取り組んでいない or 積極的にさぼる

従業員のエンゲージメントの調査で有名な米ギャロップ社の世界150カ国、2000人を対象にしたアンケート結果がこの見出しです。

センセーショナルですよね。キャリア論について世界的にも評価を受けているセス・ゴーディン氏は「このような状況では、海に漂うゴミのように流されるまま仕事を続けるよりも、辞める方がむしろエネルギーがいる」と表現しています。続けて、その原因は「埋没コスト」に苛まされているからであるとのこと。埋没コストとは、ビジネスでもよく耳にすると思いますが、これまでに費やした時間やお金といった戻ってこないコストを指します。

ちなみに、我々日本人にとっては更に残念なことがあります。別のギャロップ社の2017年テストで日本人においてはなんと同じ項目の回答結果が94%(!!)です。

アメリカ人よりも悲観的とは思いましたが、これには流石に絶句します。仕事内容、人間関係、給料、満員電車、色々とあると思いますが、これでは「失われた10年」が20年となり、30年となり、そして40年になる悲観的シナリオもある得るわけです(ちなみに失われた10年はあっても20年はなく、むしろ適正に戻ったという見方もありますよね、私も何となくそんな気がします)。

いずれにしても、人生の1/3、人によっては睡眠時間以外はすべて仕事の人もいると思います。今の仕事が好きであれば話は別ですが、一日の大部分を占める仕事を楽めていないのであれば、埋没コストに見切りをつけて、アクションを起こすことが、QOL向上に寄与するかもしれないですね。

■ 「人生のルールはスポーツのルールと違う」

これは先ほどのウッズの事例と根底は同じですが、2006年トリノオリンピック銀メダリストのサーシャ・コーエン氏がスポーツを引退する人達に対して語った内容です。曰く、一つの目標に向かって毎日懸命に頑張る選手は、グリットと決意とレジリエンスを持っている。だが、競争の中で肉体的・精神的に頑張る力では、引退後に待ち受ける課題に立ち向かえない。なので目標でないことにも意図的に時間を使おうとのこと。

私はスポーツが好きで特に海外で頑張っている選手を見ると自分も頑張らなきゃとプラスに働きます。一方、キャリア形成においては、その選手のスポーツにおけるアプローチの仕方を盲目的に取り入れるのはミスリードかもしれない点は認識しておきましょう。見るけど、キャリアにおいてあまり参考にしない、的な。前述の学習環境の違いの視点ですね。


■ 未完なのに完成したと言い張っていないか

心理学者ダン・ギルバードいわく、私たち人間は「まだ作成途中なのに、出来上がったと言い張っている作品」であるとのこと。

これは多くの人にとっても何か響くものがあるのではないでしょうか。世の中を見渡せば、いわゆる「自分探し」や「論破」「マウント」「意識高い系」そしてネットを中心に有象無象の罵詈雑言が飛び交っています。

そう考えると、強がるのはやめて、専門を探すにも焦り過ぎず、効率とかロジックとか、そんなのも周りの人も一旦忘れて、生まれてきたこの人生、ゆっくり楽しんでいきたいものです。

ちなみに、この本には書いてないのですが、皆さんは、「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」という言葉をご存知でしょうか。マルクス主義の思想家のグラムシがムッソリーニによって投獄されていた際に監獄の中でノートで書き記していた(正確にはフランスの作家ロマン・ロランの言葉を参照していた)言葉です。

知性は色々と知り深く考えることに直結するため、知性によるものは基本は良いも悪いも全体を捉えるので様々なリスク要因等のネガティブ要素も必然と見えてきます。

その結果、得てして悲観的(ペシミズム)になりがちであると、でも私は自分の意志で楽観的(オプティミズム)であろうとするぞ、という意味合いです。グラムシは奴隷の哲学者のエピクテトスと通ずるものがある気がしますね。

いずれにしてもちょっと考えがちでペシミズム寄りになっているなと感じたら意識的に「意志のオプティミズム」を思い出して前を向きましょう。


■ 文脈原則とグリット

文脈原則とは、文脈によってAにもなればBになるという考え方です。見方によってはその限りじゃないよねということです。頭を柔らかく日々物事を捉えていきたいですね。

グリットは知っている人も多いと思います。マッキンゼーから教師になって今は研究しているのかなと思いますが、アンジェラ・ダックワース氏による書籍で紹介されて広く日本でも認知されたワードです。やり切る力ですね。

RANGEの筆者はグリットがあるか?と聞くのでなく、いつならグリットがあるか?と質問する方が適切としています。これはよいヒントになるのではないでしょうか。是非参考にしてみてください。


■ 「遅れをとったと思わないこと」

最後に筆者の問いと結論を。超専門特化の時代、やりたいことがわからないが、決めなければいけない中で、幅や多様な経験や領域横断的な探求をどうやって実現するのか、これが筆者の問いです。そしてその回答を一言で表すならば「遅れをとったと思わないこと」。結局そういうことですよね。


■ 今回の書籍について

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