【ストーナー】ジョン・ウィリアムズ著を読んでみました★
とてもいい良書に出会えました。読んでいるときも早く読了したい、でも読み終わってしまうのが寂しいと言いますか笑
【ストーナー】ジョン・ウィリアムズ著
訳:東江一紀
第1回日本翻訳大賞・読者賞を受賞した作品です!
惜しまれつつも翻訳を担当された東江一紀氏は、最後の1ページを残したところでお亡くなりになり、
後任の方があとがきを書かれていました。
帯にもこのあとがきが記されています。
【読んでいると、さざ波のようにひたひたと悲しみが寄せてくる。どのページの隅にもかすかに暗い影がちらつき、これからどうなるのだろう、ストーナーはどうするだろうと、期待と不安に駆られ、もどかしい思いでページをめくらずにはいられない。しかしそんな彼にも幸福な時間は訪れる。しみじみとした喜びに浸り、情熱に身を焦がす時間が…。ぎこちなくおずおずと手を伸ばし、ストーナーはそのひとときを至宝のように慈しむ。その一瞬一瞬がまぶしいばかりの輝きを放つ。なんと美しい小説だろう。そう思うのは、静かな共感が胸に満ちてくるからにちがいない。】
ここから先は私の感想を挟みながら概要を語っていきます。なるべくネタバレにならないように気をつけながら苦笑
1910年に19歳でミズーリ大学に入学、
ミズーリ大学を定年退職する前の1956年に亡くなったウィリアム・ストーナーという架空の人物の話です。
彼が生きた時代は第1次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦があった頃の時代です。
この激動の時代におけるストーナーの少年時代、彼が大学生の頃の話、そして当該大学の教員になっていく物語です。
ミズーリ州のつつしまやかな農場で生まれ、
両親を助けながら一生懸命働いていたのですが、
知人からの勧めで思いがけなくミズーリ大学の農学部に入学することになります。
大学で土壌化学や農業に関する勉強をしていたわけですが、
これはひとえに大学を卒業したあかつきには、家業の農業を継ぐための準備でした。
しかし、必修科目の英文学の講義でシェイクスピアを学んだことがきっかけで、ストーナーは英文学の道へと進みます。
両親の期待に背くことはいたたまれないけれど、
自分の本当にやりたいことを見つけてしまった以上はあとには引き返せません。
4年で実家に戻ると思っている両親に対して、もう自分は実家に帰らない、
4年経っても勉強は続けると言うのです。
ひたすら自分の道を進むストーナーに【そんたく】という言葉はありません。
空気が読めずにひたすら我が道をゆくあたりは私に似てるなあと思いました笑
やがて、お金持ちのお嬢様と結婚、大学で修士をおさめたあとは当大学の講師になっていくのですが、
理屈に合っていないことには妥協しない人物です。
戦争についてストーナーの友人たちは志願して戦争に行くのですが、
ストーナーは卑怯と思われようがかたくなに入隊はしませんでした。あくまでも純粋に勉学をやっていきたかったのです。
不器用で世渡りが下手くそ。
そうして人の気持ちが理解できないせいなのか、家庭生活もうまくいかなくなり、大学でも万年、助教授です。
ストーナーには娘ができますが、こんな家庭では幸せな人生にはなりようがなく、強引な方法で結婚、
実家を出てセントルイスに住むのですが、時々実家に帰ってきます。
ストーナーが亡くなる少し前に娘がお見舞いに来たとき
【2人は夜中まで旧友どうしのように話した。ストーナーは娘が、その言葉どおり、絶望に寄り添いながら、幸せに近い生活を送っていることを受け入れた。この先も、少しずつ酒量を増やしながら、穏やかな気持ちでがらんどうの人生に沈みこんでいくだろう。父親として、少なくともグレースがその道にたどり着いたことを喜び、娘が酒を飲めるという事実を寿いだ。】
あきらめの気持ちとも言える、わびしいけれども穏やかな親愛の心で娘を見る、、、、
なんというか、心の落ち着け方を学んだ気もするし、妙な静けさを持った気持ちで読みました。
ストーナーの死の淵
【夏風にはこばれてきたかのように、歓喜の情が押し寄せてくる。挫折について、、、いまはそのような考察が、自分の生涯にふさわしくない。】
まじめで不器用な人間であるストーナーの死に、なにか崇高なものを感じ、静かな満ち足りた思いになりました。
まわりの木の葉の揺れ、
風などの描写も美しく、
翻訳の善し悪しは関係なく、とても穏やかな気持ちになれる思いで読み勧めました。
【ストーナー】はある意味、完璧な小説です。
巧みなセリフまわし、なにより美しい文章、
心を深く揺さぶる物語展開。
美しい人生、美しい人間とは実は平凡な人生を生きることそのものなんだということに気づかせてくれ、
【自分の人生はこれでいいのだ】と思わせてくれるすごく優秀な本でした。