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ごめんを呑む時

YoutubeでONE PIECEの公式全話ライブ配信があり、ちょうど空島編を見返していた。ハッとした言葉があって、自分事としてつい、思索に耽りたくなった。


己の行動に罪を感じた時
人は最も弱くなる。

ガン・フォール

神に従い、友人を裁きの地へ送るコニス


罪というのは法律や規律上の罪のことだけではなくて、もっと解釈を広くしていい。ミスや失敗、迷惑をかけてしまった、許してもらえないだろう、申し訳なさ、不甲斐なさ、自分の中にある後ろめていることが罪に当たる。ここでの罪は客観的なものではない。罪かどうかをリストから検索し照合するものではない。起訴も判決も自分の本心次第。罪はごめんと感じた自分の行動。ごめんの大小と罪の大小は等しい。

ごめんを言い出せず、呑み込んだら、罪は消化されずに体に溜まっていく。ごめんを吐き出すタイミングを見失って、吐き出し方も分からなくなって、怖くなって、申し訳なくなって、汚い吐瀉物を見せたくないって羞恥心で、また呑み込む。罪はどんどん腐敗して、キツいものになる。そんなものが体の中にあったら、体の調子は悪くなるに決まってる。

「己の行動に罪を感じた時」というのは、この比喩で言うところの「ごめんを呑む時」だ。胃から口へ出てきたキツいものをまた呑み込んだら、そりゃ気分は悪くなる。弱くなる。辛いなら呑んじゃダメだ。呑み込んだそれは慚愧となってずっと胃に残る。

鬱、みたいな状態は、ごめんをたくさん感じて、ごめんをたくさん呑んだ末に起こる体調不良なように思う。ごめんが溜まって、溢れて、気持ち悪くなって、立っていられなくなる。ごめんでいっぱいで、慚愧に堪えれなくて、ダメな自分を社会に顔向けできなくなる。

そんな状態から抜け出すには、まずはごめんなことと向き合うこと、告げること、そしてケジメをつけること。例えで言い換えれば、戻して、吐いて、片付ける、だ。汚くて恥ずかしいことだけど、それが謝罪あるいは贖罪というやつなのだろう。ただそれは、罪がそうであったように、主観的でいい。



「己の行動に罪を感じた時 人は最も弱くなる。」

 この後にこんな言葉を添えるのはどうだろう。

「罪にケジメを付ける時、人は強くなる。勇ましくなる。」

コニスもパガヤも罪を告げた後、恐れていたアッパーヤードへ向かったり、死を恐れず人を庇ったり、禁忌であった神への冒涜を恐れず公の場で声を上げて避難の指示をしたり、彼女らは勇気に満ち溢れていた。


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