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「わたしの肌って、乾燥してるのかも…」 そう気づいた夜から、毎日パックをするようにした。 最近は花粉のせいか、マスクのせいか、外出が増えたからなのかよくわからないけど、目の周りが信じられないくらいガサガサする。 朝起きるとまぶたが腫れていることもあって、最悪な気分。 そうだ、パックがあるじゃないか。 お気に入りのパックの中に、どんと構えている、君がいるじゃないか。 「日常用」のパック。 特別なときじゃなくて、毎日ガンガン使えるパックを、用意していたんだった。 パックをし
もうすぐクリスマス。 去年までは「クリスマス」も良く分かっていませんでしたが、この1年で成長を遂げて、この日はどうやら楽しい事がある。という気持ちになっている模様。 「サンタさんは、トナカイさんと一緒に来るんだよね!」 「サンタさんは、今なにやってるの?」 じつに楽しそうにしている。 いい子にしてたらきっと来てくれるよ。というと、夕食を食べている時の姿勢も、なぜか背筋を伸ばして姿勢良く食べている。なんだか得意げ。 「お姉さんだからねっ!」と言いながら、いい子を演じ
簡単に魅力をまとめておく事にしよう。 よう、兄弟。俺だ。今日も良く来てくれたな。 今日は先日発売された「ケイデンス・オブ・ハイラル」の話をしよう。 1:二作品の要素を高度に融合させたゲーム性 「ケイデンス・オブ・ハイラル」はゼルダの伝説とネクロダンサーという二つのゲームのコラボ作品だ。 こういう二作品のコラボ作品は双方の異なるゲーム性を上手く融合させるのが非常に難しいものだが、本作については実に上手く調和している。 2Dゼルダをベースとしてリズムアクション
お誘いくださった桃之字=サンに圧倒的感謝……!日時と場所は「8/11日曜日西地区C40b」となります! よう、兄弟。俺だ。今日も良く来てくれたな。 掲題の通り、俺も今年の夏コミにサークルとして参加する事が決まった。 とはいえ、水面下でサークル申し込みをしていたという訳ではない。同じパルプスリンガーである、桃之字=サンより一緒にサークル参加しないかとお声がけいただいたのがきっかけである。 桃之字=サンのコミケ参加については以下のエントリィも合わせて確認していただき
以前、道徳は自分がその人と仲が良いかどうかに関わらず優しくする「公平性」が必要で、愛は好きな人を特別扱いする「不公平性」を求めるから、どちらかを選ばなければいけないという問題について書いた。 授業を受けて、完璧ではないけれどしっかりとした答えが見つかったので、今日はそれについて書く。 まず、愛と道徳とは何か、考え直そう。 多くの心理学者は、愛とは、自分の欲望を満たすために感じるモチベーションのことだと説明した。誰かを好きになったら、一緒にいたい、相手の笑顔を見たい、相手
わたしには10年以上前から「一生の友達」がいる。 小学校を卒業する日、女子たちは卒業アルバムをもって歩き回っていた。後半にある空白のページに、みんなからメッセージを書いてもらうためだ。 いつも一緒にいたグループの子はもちろん、たまにしか話さない子や友達の少ない子にも、そして男子にも書いてもらった。高学年に入ってからはまともに男子と話せなかったのに、アルバムと「最後だから」という気持ちで15人程度は集められた。 メッセージの中で、特に印象的なものがある。同じグループに所属
そしてわたしは、空に溺れる。 とにもかくにも、こうしなければならない、こうでなければならない、と断定する言い方をされてしまうと、あまのじゃくなわたしはつい反抗してしまいたくなる。 だからわたしは、冗談以外で絶対にこう、という言い方は避けてしまうが、唯一、これは絶対にこうだよね、と同意、共感を求めてしまうものがあるとするならば、それは宮沢賢治の短編小説、「よだかの星」についてである。 『よだかは、実にみにくい鳥です』から始まる、本当に短い物語なのに、こんなにも美しく、涙が
文章を書く、は、書くだけじゃダメだと最近思うようになった。 文章とは、言葉の塊である。分解すれば一つひとつの言葉になる。 その言葉についてもっと深く考えるという作業が、文章を書くうえで重要ではないか、という、ごく当たり前のことに最近気づいた。 ひとつの記事を書き終え、まっとうな文章を書いたつもりになっていた。 けれどそれらは、言葉と真剣に格闘していない、浅はかで薄い言葉の連なりに過ぎなかったかもしれない。 じゃあ、記事を書くときに一つひとつの言葉を深堀しながら書けば
3月26日、ミッキーとミニーの顔が変わりました。 東京ディズニーリゾートで会える彼らの顔がすべて一新されると聞いて(しかも変化が思ったより大きかったので)、最後に一目見るために、そして27年間のお礼を伝えるために、先日ディズニーランドに行ってきました。 私自身は今回の変化をとても残念に思っています。前のミッキーのほうがかっこよくって生き生きとしているように見える。顔に生気を感じます。 新しいミッキーの顔はかっこいいというよりも可愛らしい。二次元のミッキーをそのまま立体化
おとといで、今シーズンのイベントを全て終えた。 お正月休みがおわってから、プライベートな集まりや約束は1つもしなかった。繁忙期を乗りきるために、カラダや部屋を整えること、自分のペースを保つことだけを考えていた。 結果、体調をくずすことなく3ケ月のイベント期間を無事にのりきることができたのと、銭湯が今まで以上に好きになった(笑) イベントの予約数を気にかける日々や、次々やってくる不安や緊張状態は、しばらくお休み。 でも不思議なことに、心配していたことがおわると、今度は別
「3」という数字を見ると、心がざわり、とする。 今日は祖父の命日だ。3月3日ひな祭り、午前3時頃に亡くなった。わたしが9歳、小学三年生の頃のことだ。 「お葬式」というものを言葉だけで聞いたことはあったけれど、「死んだ人」を見るのははじめてだったし、参列したのもはじめてだった。 突然の死だった。数え年で還暦の、急な死。駆けつけた親戚が祖父にすがって泣き崩れていたこと、通夜や葬儀で嫁である母が泣いていたこと、わけがわかっていなかった幼かった従兄弟のはしゃぎっぷり。 あんな
ビニール傘が好きだ。 久しぶりに雨が降っていた。1月2月はあまり雨が降っておらず、降ったとしても明け方だけとかだったりして、一日中降っていたのは久しぶりだと思う。 僕は普段使う傘としてビニール傘を使っている。 傘を持っていない時に雨に降られて、仕方なくコンビニで買ったものを使い続けている、というわけではない。あえてビニール傘を使っているし、前のビニール傘が壊れてしまった時も、新しくビニール傘を購入している。 別にビニール傘が安いから買っているというわけではない。まあ、
私個人の考え方なので、そーゆう人も居るんだ。くらいに思ってくださいね。 どういう基準でnoteに『スキ』を付けますか? という話なのです。 * しばらく前にも、この話題をしている人が居たので、意見の割れるところがあるのでしょう。 そして、タイトルから想像のつくように私は、かなり緩やかな基準で『スキ』を付けに行くタイプです。 「すっごく良かったです!」から始まって、「流石です!」とか「ふむふむなるほど」とか。「今日もお疲れ様です!」くらいの気持ちの時もある。 そこに
最近、思いもかけない肌荒れやニキビに悩まされている。 嘘です、ニキビはできているけど、別に悩んではいない。 化粧ができないとか、ブサイクに見えるとか、そんなふうに悩んだりはしない。ただ痕が残りやすくなっている感じがするのは嫌だなとか、腫れて痛くなるのは嫌だなとか、そんな程度だ。 そもそも化粧もあまりしなくなってしまった。化粧は好きだけど。 スキンケアも雑すぎて、さすがに皺っぽく感じる事があったので、少し心を入れ替えようと思って、みたいな感じです。 視力が落ちてきて、モノ