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不安の置き所
好きな人から返信がないと、不安になる。
それはもう、恋するわたしたちには付き物なのでは?と半ば諦めかけていた。
でも、今ようやくわたしは
その不安の置き所を見つけたような気がする。
好きな人と揉めたので、話し合いをする日取りを決め、その後少しやりとりをしている途中で
彼からの返信が途切れた。
不安だ。
色々な想像が膨らんでしまう。
''なんで一言も返せないの?''
''どうせ面倒くさいと思ってるんだ''
''もう冷められたんだ''
どんどんネガティブになる。
''忙しかった?返信してほしい''
という内容のメッセージを送ってしまおうか。
いつしかその不安や焦りは、苛立ちに変わる。
''もういいよ''
と送りかけて、その手を止めた。
一度、感情任せに
''なんで○○なの?!悲しい!''というメッセージを送りつけてしまった時
''事実の確認をせずに、結論が決まった状態で投げてこられると言い返す気もなくなる''
と言われたことを思い出したから。
危ない危ない。
こういう時は、寝るに限る!
感情を、相手をコントロールする手段にしてしまわないために。
それが今のわたしの課題。
翌朝、仕事に向かいながら
返信が来ないことについて考えてみた。
そもそも、どうしてわたしは返信が欲しいのだろう?
繋がっていたいから?
安心したいから?
あれこれ考えているうちに、気がついた。
わたしにとっての目的は、返信をもらうことではない。
わたしは、彼と付き合う(というよりも、結婚する)のが最大の目的なのであって
毎日連絡を取ることは、''おまけ''のようなものだ。
なんだか、途端に不安に思っていたことが
どうでもよくなった。
好きだったらこうするはず。
そうやって枠に当てはめていると
苦しむのはいつだって自分だった。
人は、人のことなどさほど考えていない。
わたしだってそうだ。
日記やジャーナリングノート、そしてこのnoteを書いているとき、好きなお笑い芸人さんのYouTubeを観ているときなどの自分の時間は、急用でない限り連絡を返すのを後回しにする。
そんなことをしていたら寝る時間になってしまうし、そのまま気分が乗らなくて、返せないことだってある。
そんなものなのかもしれない。
わたしたちは、連絡ツールに慣れすぎているね。
手段が目的となり、わたしたちを苦しめる。
そんな世界線から、わたしはもう撤退したい。
''俺が嫌な気持ちにならないために、じゃなくて
2人の関係が良くなるために考えて''
いつか揉めた時に言われた言葉を時々反芻する。
すぐに目的を見失いがちなわたしを律する言葉。
''今の感情''ももちろん大事。
でも、それだけでは目的は果たせないのだろう。
本当の目的を都度見つめ直すこと。
突発的な負の感情に負けないこと。
不安は、少し先の未来に置いてみる。
遠目で見て、適切に処理していく。
彼はどうやらキャンプに行っていたらしい。(職場の人情報)
そういう時間は大事だよね。
わたしが日記やジャーナリングノートを書くのと同じように、自分を取り返す時間なのだろうな〜と思いながらコーヒーを啜れるくらい
心は安定してきた。
''今、こういう時間なので返信できません''
なんてわざわざ言うのもおかしな感じがするし
自分だけ思い上がっているような気がして
小っ恥ずかしい。
そんなことを考えていると
返信するタイミングを逃して
ああ…となる。(たまにやる)
彼は返せない時は既読無視をするタイプで、
わたしはなんとか返信をするか、未読無視のままにして寝てしまったことにするか、''了解!また明日!おやすみ''と強制終了してしまうタイプ。(これは多分あまりよくない)
人それぞれだよね。
現実から目を背けているだけでしょ、と言われてしまえば、それまでなのかもしれないけれど
不安の置き所が見つかったのは
わたしにとっては財産だったんだよ。
そんなきっかけをくれる彼を
わたしはまだまだ大好きで仕方がない。
彼と歩んでいける未来を
わたしだけは信じていたい。
信じさせて欲しい。今はもう少しだけ。