『ソクラテスの弁明』について
他の哲学書と違って、プラトンの著作は、会話型となっていて、一見読みやすいですが、ソクラテスの本意を、理解できたかというと、それは、怪しいものなので、西氏の解説によって学ぶことにします。
西氏は、『ソクラテス の 弁明』 は、哲学への誘いの書であると述べています。
本作品には、二つのキーワードがあると言うのです。
第一のキーワードは、「不知の自覚」です。以前は「無知の知」というワードは知っていましたが、最近では「不知の自覚」と訳されるのが多くなったそうです。「不知の自覚」というワードは初めて知りました。
「勇気」「正義」などのよいこと(価値あること)について、それはどういうことなのかと問われると、その答え困ってしまう。わかっているつもりの知識人はもっとわかっていない、とソクラテスは述べている。何に価値があるのかわかっていないと気づくことが「不知の自覚」というのです。
第二のキーワードは、「魂への配慮」というのです。哲学の対話とは、「勇気とは何か」「正義とは」「美とは」といったテーマについて、それぞれが互いに考えをもち寄り、検討することです。なぜそうするかといえば、自分の魂(心)を「よいもの」にしたいと願うからです。
哲学には、他の見方、つまり「存在への問い」や「世界や魂の究極の真理」を求めるのか哲学であるというものもあるが、ソクラテスは、人が生きるうえで肝心な大切な問いは「よさ」(価値)の根拠を問うことであり、それについては共通な答えを出すことができる、と考えていた。
この作品では、初めから終わりまでソクラテスが法廷で弁明する様子が描かれている。ソクラテスの弟子でこの裁判に臨席した若きプラトンが、ソクラテスの死後にまとめている。
ソクラテスが生きていた紀元前5世紀のアテナイの状況は、軍事費の名目で各ポリスから金を取り立てて、全ギリシャの富を集め、人も多く集まり、文化も栄えていたという。
アテナイは民主政のポリスでしたから、有力な市民の子弟は,競って政治家を目指しでいた。富・権力・名声を得ることができるからです。
ところが、この豊かさの中で、かつての戦士国家としての質実剛健なモラルが壊れ、「何がよいことなのか」がハッキリしなくなっていきます。さらには、長年続いたスパルタとの戦争と敗戦など、政情も不安定になっていきます。そういう中で、「本当に価値あるものは何か」という問いを胸に抱く人が少しづつ増えていった、と言うのです。
つまり、まず「豊かさの中でのニヒリズム」がやってきたわけです。「手にいれたいと思っていた富・権力・名声を得たところで、一体何になるのだろうか」「本当に価値のあることって何だろう。そんなものがあるだろうか」という感覚をもった若者たちがソクラテスのもとに集まったのです。プラトンもその一員だった。
一方、アテナイが富み栄えたことによって、ソフィストと呼ばれる人たちが全ギリシャからアテナイに集まってきていた。ソフィストとは「知恵のある人」「知識人」という意味になる。
そして彼らは、有力市民の子弟の出世のために、高額で家庭教師をして「弁論術」を教えるようになります。そうすれば、政治家となって富と権力と名声を得ることができるということです。
ソフィストの立場は「観点が違えばいろんな答えが出てくる」という相対主義であり、「どこにも究極の真理はない」という懐疑主義でもあります。みなが納得できる共通理解があることを認めない。こうしたソフィストの登場により、ニヒリズムはさらに加速した。
ですからソフィストは、伝統的な価値を重視する人たちからは、「これまでのモラルを破壊するとんでもない連中」として批判された。
ソクラテスは、ソフィストと交際し議論していたから、当時のアテナイの市民はソクラテスをソフィストの一人とみなしていた。本作品には、このような見方が描写されている。
第一のキーワードの「不知の自覚」についての説明です。
この神託に困惑したソクラテスは、神託に反駁しようとして、まずは政治家たち、次に劇作家たち、そして最後に職人たちと会いにいって確かめることにした。
ソクラテスは、政治家に質問を投げかけると、その答えを一つひとつ吟味し、さらに追及を続けたところ、ついに追い詰められ、答えられなくなり、黙ってしまった。このようにして恥をかかされた政治家が、ソクラテスを憎んだのは当然かも知れない。
ソクラテスも政治家も分っていない点は同じだが、しかし彼らは「知っている」と思いこんでいるのに対して、ソクラテスは「知らないことは知っている」という分だけ、自分のほうが知恵があるということなのだ、とソクラテスは考えるようになる。これが「不知の自覚」ということです。
ソクラテスは無知ではなく、不知であって、そのことを自覚している。だから「不知の自覚」と言うべきだと言うことになります。
ソクラテスが次々に政治家や劇作家、職人たちなどの傲慢さを暴いていく様子を見たアテナイの若者たちは、その真似をするようになりました。
こんなことがどんどん増えてしまったら、「誰がそんなことをやり始めたんだ」と大人たちは怒り、煽動した人を排斥しようとするでしょう。こうして「ソクラテスは若者たちを堕落させた」という非難が生まれてきたのだ、とソクラテスは自ら述べている。
次は、第二のキーワードとなる「魂への配慮」の説明です。
ソクラテスは、「魂への配慮」せずに、金儲けや名声を手にすることばかりに一生懸命になっているのは恥ずべきことだと指摘している。
よい魂をもっている人間がよいことのためにお金や身体を使うことではじめて、お金や身体をよく活かすことができる、とソクラテスは言っている。
ソクラテスはこう考えました。人のアレテー、つまり優秀性は、金儲けができる技術ではなく、体を鍛えていることでもない。さらに巧みな弁論術をもっていることでもない、それよりも、「魂の優れたありかた」こそが人のアレテーなのだと。
この魂とは、「心」や「人格」と言い換えてもいいでしょう。また「魂に優れたありかた」とは、人の「立派さ」や「偉さ」と言うとわかりやすいかも知れません。
ソクラテスの存在に、憧れを抱く人たちは、数多くいたでしょうが、議論を吹っ掛けられて、大恥をかいた政治家たちのような有力者とその同調者たちもかなりいたことから、裁判の結果、多数決で、死刑という判決に至った。あまりにも、理不尽なことではあるが、ソクラテスは、毅然として、それを受入れ、毒をあおった。
ソクラテスは死刑にされることを恐れていませんでした。なぜなら、哲学すること、という真に大切なものの価値を訴えることが重要であり、哲学の意義が失われることこそが恐れるべきことだと考えたからでしょう。
今の、私たちには、まったく、信じられないことではありますが、これが、2400年間も、語りつがれてきたという事実があるのは自明であるからには、それだけ信じている人々が圧倒的に多いということになります。
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