ルソーの『社会契約論』について
苫野一徳著『社会契約論』に基づいて、ルソーについて学びます。
ルソーの社会契約論は、250年以上前の名著ではあるが、こんな昔の本を、現代のわれわれが読み直す必要があるのかという問いにたいして、苫野氏は、自信をもって、あると答えています。
ルソーの社会契約論については、教科書や、種々の解説書で、およその内容を知っているつもりでしたが、その確認のために本書を読むことにします。
ルソーの生きてきた時代は、宗教が違えば、殺しても構わない、身分が違えば、同じ人間と見なされない、そんな暴力や差別が当たりまえだった時代に、ルソーは、すべての人が自由に生きられる社会のあり方を探求し、そして答えを引出したのが、この社会契約論だ、と苫野氏は述べる。
ルソーが生きていた250年以上前に劣らず、現代でも、キリスト教と、イスラム教の戦いは深刻であり、ヘイト、難民問題、貧困問題、格差問題などは、身分の違いをさらに、ブーストしているのでは、とさえ思える。
苫野氏は、ルソーの『社会契約論』を読み進めていく前に、哲学書の基本的な読み方を伝授している。
「問いは何か?」
「どのような方法でその問いを考えたか?」
「たどり着いた答えは何か?」
というものである。
『社会契約論』の問いは何か
ルソーの問いは、「正当な社会」とは何か、つまり「よい社会」とは何かです。「よい社会」とは「自由な社会」である、とルソーは言う。
では「みんながみんなの中で自由になれる社会」はいかに可能か?という具合に、読者にその論拠を一歩ずつ確かめつつ追っていくことができる、そんな論じかたである、と苫野氏は述べている。
答えは何か
「社会契約」と「一般意志」。端的には、この二つが答えです、となる。
「社会契約」が歴史的にあったのだという仮説を主張するものではなく、国家のあるべき本質についての考え方といういうわけです。
この「社会契約」の内容はというと、その答えは「一般意志」となる。
さて、この「一般意志」なる概念は、さまざまに解釈されてきたが、苫野氏の説によると、下記のようになる。
一般意志は全体主義の思想であるとラッセル、アーレントのような明敏な哲学者の批判に対して、それは的を外した批判であるとして、なぜ的外れなのかを説明しています。
一般意志は、完全に実現することは不可能でしょうが、人類は、長い目で見れば一般意志をめざしてこれまで努力し続けており、そしてそれは、確実に前進してきた、というのです。
ここまでの講義で、『社会契約論』の核心をある程度説明していて、第3講では、その具体的な内容について詳しく解説しているが、省略します。
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