ゾラとナナ、その後のマーロウとテリー
1年ほど前から続けている「古典の読みなおし」活動の一環。
先月はゾラの「居酒屋」と「ナナ」を読んでいた。とはいえ読みなおして気がついたのだけど、「ナナ」の方はたぶん読みきっていなかった。冒頭の劇場のシーンまではなんとなく記憶にあるけれど、それ以降は全ページがなぜか新鮮で…。
ゾラの「居酒屋」を初めて読んだのは大学生の時。ちょっとだけバイトしていた居酒屋の店長が本好きで、これ好きだと思うよ、と文庫本をくれたのだ。登場人物が多い上に特にしっかりとした起承転結なくダラダラとお話が進むのだけれど、主人公の「ナナ」をはじめ登場する人物がみんな魅力的で楽しかった。時間かかったけど。
そして、ナナのような悩殺ボディと気取らない性格に恵まれた若い女性の謎パワー。自分も以前は「若い女性」だったはずだけど、当時はその意味がわかっていない、ただ若いだけの女だった。個人的にギャル的な女性にすごく憧れるのだけれど、それは「若さ」と「色気」を最大限に活用できる彼女たちの賢さに惹かれるからかもしれない。
その次に(古典というには微妙かもしれないけれど)手に取ったのが、チャンドラー「長い別れ」。これは何度も読んでいるし、新訳という事で手に取っただけなので、あっという間に読み切ってしまった(ちょっと勿体なかった)。
チャンドラーを初めて読んだのは確か高校生の時で、その時は「アメリカ人ってかっこいい」みたいな事しか思わなかったけど、読み返すたびにマーロウとテリーが身にまとう影の部分が迫ってくる。
「理想のタイプはテリー・レノックス」と言っていた友人(ゲイ男性)がいて、その時には「は?」としか思わなかったけれど、マーロウのように振る舞いたかった彼は、世話のやける未熟な恋人が欲しかったのだろう。しかも礼儀正しくて義理堅い。
自然からの贈りものと一緒に明るく生きる若い女性の物語を読んだあと、社会的な責任を背負って生きるもの悲しい男性の話を読みたくなったのは…。ただの偶然かな。