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【読書感想】こころ
こんばんは。博多佐之助です(^^)
久しぶりのnote投稿!ここ1週間はネットも満足に使えない場所にいたものでして。その代わりと言っちゃなんですが、本を読む時間はたっぷり確保できたので、今回は読み直した本の1つ『こころ』の感想を書きたいと思います!
人のこころ
この作品の著者は言わずと知れた日本を代表する大文豪、夏目漱石。
題目通り、人の〝こころ〟が描かれている訳ですが、一口に〝こころ〟と言ってもその形は様々。いや、そもそも〝こころ〟とは自体、形を成すものではないかもしれませんが、主人公である私が先生という人間に興味を持ったこころ。先生が友人Kに対して抱く罪悪感というこころ。私の両親や家族が私を心配するこころ。そんな親類の気持ちを煩わしいと思う私のこころ。全て抱く感情は違うとも、その感情が生まれる場所はこころという言葉で表すことができます。
小説は登場するキャラクターのこころが描かれて構築されると考えると「人のこころが描かれた作品」なんて当たり前すぎて、この作品の本質を捉えたことにはならないかもしれません。それでも物語の舞台が明治~大正であるにもかかわらず令和の今になってもこの作品が胸を打つのは人のこころはどれだけ時代が進んでも普遍的だからなのかもしれません。
親孝行しようと思った
この作品は大きく3つの章に分かれています。
上・先生と私
中・両親と私
下・先生と遺書
上・先生と私は文字通り、先生と私との出会いなどが描かれており、中・両親と私では私の父親が病気で余命幾何もないかもしれないという事態になり私が実家に戻る話。そしてでは物語冒頭からばら撒かれていた先生の謎が私の許に届いた先生からの手紙で明らかになります。
コロナ禍で実家に帰りづらいボクにとっては、実家に帰った私と両親や親類との交流が特に胸に響きました。
この作品に関わらず、どんな作品でも読んでいる時の心境で胸に響く場面って違いますよね。
病に伏せている私の父親が大学を卒業したばかりの息子に対して「おめでとう」と声をかけますが、息子である私は卒業自体大したことではないだろうと言いますが父親のこころは違う。
卒業自体は大したことではないかもしれない。それでも自分が死んでから卒業を迎えるのではなく、生きている間に息子に「卒業おめでとう」と言えるのは親の立場からすると嬉しいじゃないか。私の父はそう言います。
親からすれば自分の子どもは一生子どもです。主人公たる私は東京の大学に通っているうちにどこか両親すら見下していたかもしれないが、父の言葉を聞いてさすがに逆らう気にもなれず、その言葉が胸に染みていたと思います。どれだけ大学で勉強をしても、子どもを持つ親の気持ちはわかるはずもない。
ボク自身もそうです。大学なんて行けて当たり前だと思っていたし通っている時は授業をサボったことすらあった。
自分がどれだけの人に支えられて生きてこれたのか。今でも両親や姉妹には精神面でたくさん助けて貰っています。
ただ、この作品でも描かれているようにそれなりに成長して家族と長く時間を過ごすとちょっと煩わしいと思っちゃうんですよね笑
向こうは心配してくれているんだろうけど、放っといてくれよという気持ちにもなる。本当に家族って不思議な空間です。
美しも醜い人の〝こころ〟
さて、この物語の根幹は最終章でもある「先生と遺書」に描かれています。
先生は毎月亡くなった友人Kの墓参りを欠かさない。それは単にKに対しての友情から行っている訳ではなく、自分自身の懺悔のためです。
ネタバレになりますが、先生はかつて下宿先のお嬢さんに恋をしていた。そしてそれはKも同じ。
先生はある日Kからお嬢さんへの恋心を打ち明けられます。「Kにお嬢さんを取られるかもしれない…」そんな焦りから先生はKがいない間にお嬢さんの母親にお嬢さんとの結婚を許してもらえるよう頼み、結果それは叶った。
Kにもその事を伝えなければと思うものの、罪悪感から中々言い出せない。結局Kには自分からではなくお嬢さんの母親から結婚のことが伝わってしまい、あくる日Kは自殺します。
Kの遺書にはお嬢さんへの恋心も先生への恨み言を書かれていない。Kの自殺の理由が失恋からなのか。先生への失望からなのか本心は誰にもわからない。それでもKを殺したのは自分ではと先生は苦しんだ。
友人と同じ人を好きになる。物語としては良くあるパターンです。結末はどうなるかは作家次第みたいなところはありますが、先生が行ったことは悪いことだったのでしょうか。まぁ良いことでもないでしょう。
Kが既にお嬢さんと結ばれていて、そこから奸計を巡らせてKを貶めてから略奪した訳でもない。恋は戦いとも言われますし、戦略としては間違ってはいない。
確かに先生は友を裏切るようなことをした。だからと言って自分の恋を諦めたくはなかった。
先生もKに自分の恋心を打ち明けてから堂々とお嬢さんとの関係を築き、自分とお嬢さんが結ばれればKは自殺をしなかったのかもしれない。
でも、誰かを好きになっている時っていうのはそんな余裕はないものではないでしょうか。特に自分が一番尊敬していて勝てないと感じている友人が同じ人を想っているのであれば。
「先生と遺書」というパートでは先生がかつて自分がKに行ってしまったことを私に遺書として渡したもの。この物語はその遺書の終わりが物語の終わりでもあります。
私のそれからの人生や、先生が本当に死んだのか。私がその遺書をどうしたのかは描かれていません。
読者の想像の余地が残っているのも、この作品が今でも多くの人のこころを掴んでいる要因の1つかもしれません。
人のこころは水のように形がない。状況次第で美しくも醜くもなる。感情はこころから生まれると思う反面、感情がこころという存在を容れる器のような役割もあるかもしれない。
未だに結着が着かない人のこころが描かれたこの作品は、自分が誰かを導く立場や結婚し子どもが生まれ父親になった時に読んだらまた違う感想を抱くだろうな。