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Yet to come
ここ最近、ふと人生について考え込むことが多くなった。
ただただ仲のいい友人と会って、笑い合っているというだけの時間を終えて帰路に着くと、様々な感情が渦を巻く。
不意に頭の中に言葉が溢れ、それと同時に少し感傷的になってしまう。
それはきっと、薄々わかっていた、私たちに待ち受けているであろう未来が、知っている人の元で起こったからだと思う。
その正体は、世間を騒がせたBTSの活動休止のニュース。
正確には、活動休止ではなくソロでの活動の比重が増えるという報告。
(これ、わざわざファンに報告してくれるの愛。)
私はARMYと言えるほどのものではないけれど、ルームメイト兼親友は数年前からARMYなので、必然的に情報が入ってくるし、私も敏感になる。
彼らが、大好きな人たちでお酒を飲みながら正直に語った想いは、かなり胸に刺さるものがあった。
その理由は、寂しいとか、悲しいとかではなく、他人事ではないと感じたからだった。
できるだけ
正直、ここ一年くらい、彼らに不安を感じていた人は多かったのではないだろうか。
迫り来る兵役へのタイムリミット。
7人が集まる姿が、彼らの意思に背いて見れなくなる未来が近づいていた。
どんなに願っても、今まで通りにはならなくなることを全員がわかっていた。
そしてリリースされた、現体制では最後になるであろう今回のアルバム、「Proof」。
少しずつ全貌が明かされていく過程で、私と親友は「ああ、彼らは着地しようとしている」と思った。
なぜならば、今までストリーミングに上がっていなかった曲や、幻となっていた音源を収録したからだ。
私は安直にも、「兵役前の7人の集大成として、スパートをかけている」なんて思っていた。
不可抗力の物事に向けて、走っているのだと。
そんなことを思いながら、静かに横目で見ていた。
そして来る発売日、表題曲「Yet to come」のPVが公開される。
2作前までを踏襲する英語詩かと思いきや、それは冒頭だけで、久しぶりにしっかり韓国語の歌詞であることに少し驚いた。
そして、PVを見終えた最初の感想は、「なんか表現できない違和感があるなぁ…」だった。
私は、当然かのように、卒業式のような雰囲気になることを想像してしまっていた。
なのに、最後のシーンのバスの中でのメンバーの表情は、あまりも穏やかだった。
別れを惜しむとか、今を必死に切り取りたいとか、そういうのじゃない。
安心しきっているような表情に、なかなか意図が汲み取れなかった。
それもそのはずで、この時の私は、まだ曲の和訳詩を知らずにいた。
そして少ししてからやってきた、アニバーサリー期間。
公開された、BTSFESTAの動画。
この動画を皮切りに、様々な議論が交わされたのは記憶に新しいだろう。
私が真っ先に感じたのは、ここまでの伏線が回収されていく感覚だった。
去年の年末に長期の休みを取ったのは、あの時もう既に、立ち止まりたかったことを知った。
「ゆっくり休んで楽しいことをしてほしいなぁ」なんて呑気に思っていた。
この休みを経て、充電満タンでラストイヤーを駆け抜けるのだろう、とも思っていた。
でも、そんな単純な仕組みでは無かったことに気づき、恥ずかしくなった。
彼らは心と体と頭が離れ離れになり、「立ち止まりたい」と言えず、今回の決断を先延ばしにしていた最中だったのだ。
アーティストである彼らの口から発せられた「グループとして、伝えたいことがわからなくなった」という言葉は、今回の決断に説得力を増した。
この動画を受けてお互い思うことが多いのは同じで、翌日の夜、親友と話し込んでいる時「そういえば、PVの和訳みた?やばいよ」だなんて言われるものだから、すぐにテレビをつけてYouTubeを開いた。
予測変換で出てきたPVに飛び着き、日本語の字幕を選択してすぐさま再生する。
PVを観ながら、思わず涙が出てしまった。
表題曲「Yet to come」に込められた想いにようやく気づいた。
彼らはひたすらに、「僕らは僕らのままだ」「いつだって今が最高で、これからがもっと最高なんだ」と伝えていたのだ。
世界のBTSと呼ばれるまでになった彼らが、全盛期を迎えているかのように世界から持て囃される彼らが、「最高なのはこれからだよ」と歌う姿、カッコよすぎるだろ。
そして、最後のシーンのバスでの表情は、どこか肩の荷が降りた表情に見えてくるのだから不思議だ。
私たちに見えていた兵役という物理的なリミットは、BTSというグループがどうあるべきかというトピックにおいて、問題ではないように見て取れた。
どこか、「そうじゃなくて」と言われているようだった。
自分の浅はかさに、また恥ずかしくなった。
胸に刺さった理由
ここまでの流れを受けてまず最初に思ったのは、
不思議なことに「ありがたいなぁ」だった。
彼らと同じ時代を生きていること、
彼らも私たちと同じように将来に悩んでいることを共有してもらえること。
彼らと同年代だからこそ、他人事ではないと感じ、より胸にぶっ刺さるものがあった。
その次に感じたのは、自分に立ち返って、考える機会をもらえたことへの感謝だった。
いま、26歳の私は、大好きな親友と一緒に暮らし、毎日楽しくて仕方ない日々を送っている。
数十年後に思い返した時に、「本当に楽しかったよね!」と笑い合う未来まで見えるくらいだ。
それでも心のどこかで、わかっていたこと。
「ずっとこのままではいられないんだろうなぁ。」
どんなに毎日が楽しくても、今が大切なのは変わらずとも、未来への不安は、消えて無くなってはくれない。
まだまだ何もできていない自分に焦りを感じるし、未来の自分のために知りたいことがたくさんある。
やってみたいことも、行ってみたい場所も、成し遂げてみたいと思うこともたくさんある。
それと同時に、今の生活や環境は、
私にとってかけがえのないもので、最高で、大切で愛おしい。
言っていることはチグハグだけれど、
ずっとこのままでいたいとも、願ってしまう。
そんな渦中の私が、彼らの決断を見ていて感じたのは
めちゃくちゃ仲のいい友達に子供ができた時の切なさとよく似ていた。
今までのように、終電間際まで飲んだり夜中に適当に電話したり、2人でふらっと旅行に行くことはできない。
大切な友人が、友人でありながら母になる。
彼女は彼女自身と同じか、それ以上に大切な存在ができたのだから。
こうして私と友人の人生が枝分かれしていく様子は、
BTSとして常に一緒にいた日々から、お互いに少し距離を置いて個人がやりたいことを追求しようとする彼らとよく重なった。
何かを得るためには、何かを手放す必要があるということを、改めて実感した。
“手放す“と考えるとどうしても気が重くなってしまう。
だって、今の私が抱えているものは全部もれなく大切だから。
手放せるようなものなんて一つもないと思いつつ、今のように友人と物理的に近い距離でいられる保証はなく、別れる未来は様々な形でやってくる。
ここまで書いてみれば本来落ち込むところだけれど、
幸いなことに、手放すことは失うことではないと、そう思えた夜が少し前にあった。
どうしても人生が交わる人っているもので。
学生時代は訳のわからないことばかりしていた大好きな友人たちと、お酒を飲みながら普段はしないような将来の話を真剣にした。
今後進みたい道や目指したいものが、まるで色の三原色の図のように重なり、不思議な気持ちになった。
お互いに茨の道を歩もうとしているし、簡単には会えなくなってしまう道を選ぼうとしている。
確実に、今みたいに適当に会うことはできなくなってしまうけれど、
会えるかどうかより、大切な部分がつながっている気がした。
すると自然に、その人が、やりたいことを頑張っていると分かれば、どこで何をしていてもそれでいいや。なんてことを思った。
きっとBTSの7人もそうなんじゃないだろうか。
何年経っても、どこで何をしていても、交わり続けるのだろう。
周りから見ると分からないのかもしれないけれど、
繋がっている本人たちは、みんなには見えないものが見えるはず。
だからこそ、少し離れることは怖いことでも、恐ろしいことでもなくて。
次に会う時に話したいことが山盛りになることも、これをあげたら喜びそうと想いを馳せることも、愛おしい時間だから。
側にいられるに越したことはないと思うけれど…
顔が見えなくとも相手を信じられることも、
お互いの成長ややりたいことを距離に関係なく見守れることも、
本当に幸せなことだよなぁ。
なんてことを学ばせてくれるトップアイドル。
絶対的に誇りです。
カムサハムニダ〜!