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人生は要約しない(読み、書き、生きること)
小説のあらすじと結末を簡潔に紹介する記事を読んだ。読む時間はないけど内容を知りたい人にはいいものだと思う。実際、長くて手をつけにくい小説の要約を読んで「ふんふんなるほど」となったこともあり、書いてくれている人がいるのはありがたい。
ただわたしは登場人物の心の機微こそが小説の醍醐味だと思っているので、できるかぎりは原典を読みたい。次に何が待ち構えているのかと心拍数が上がり、登場人物のつらさや嬉しさに感情移入して心が揺さぶられる体験は、この要約できない部分に詰まっている。
これは人生と近いというか人生そのものだと思う。
わたし自身の人生を要約するならば、いつどこで生まれていつ亡くなりました、ごく普通の人です、で終わってしまうだろう。しかし、その要約に書かれなかった部分にこそ人生のうまみがあり、いま生きていて悩む誰かの小さな気づきになりうると信じている。
その誰かがほんとうにいるかはわからないし、誰も見ていない、読んでもいないかもしれない。
それでもわたしは書きたいから書く。わたしの思うことはほかの誰にもわからないから。
わたしは話すことは好きだが、上手ではない。いつもたくさんのひとりごとが頭の中にあって騒がしく、うまくまとめられない。思考の速度と口の動きが一致しなくて、つっかえつっかえになってしまう。そのことで笑われたり、非難されたりを何度もしてきた。恥ずかしさと悔しさでひとり泣いたこともある。
でも文章ならば、書くことならば時間をとることができる。ゆっくり考えながら吐き出せる。読み返せる。
頭の中に言いたいことがいっぱいある。ひとりごとたちが外の世界に出る日を待っている。ならば書くしかないと思った。
なんでいきなり書こうと思ったか。
頭の中で考えているだけだと外に出ていかないし、誰かがわたしの思考を読み取ってくれるわけでもなく、自分にしか書くことができないから。
これまで何度もひとの書くものに気づきをもらい、救われ、人生を動かす原動力となったから。本やブログ、歌詞、短い一節で人生が180°変わることだってあるから。
ほかの人には届かなかったとしても、すこし未来の自分には届けられるから。
もしここまで読んでくれた方がいたら、ほんとうにほんとうにありがとうございます。