はじめに
柳田國男「橋姫」の出典をたどりながら読んでいきます。
今回は、前回までに提示された伝承をもとに、要素分解していく一つ目になります。
初回↓
前回↓
04.手紙を託すこと(幸福譚)
08遠國に分布
「眞似も運搬も出來ぬやうな遠國に、分布してゐる」とありますが、どの時代のことを念頭にしているのでしょうか。
思っている以上に往来はあるもんだと、歩き巫女なんかを知ったときに考えたことがありました。
後に国男さんも『蝸牛考』を著すわけですが、情報の伝播に対する理解って、現状どんな感じなんでしょうか。
09『遠野物語』
『遠野物語』は説明するまでもありませんが、遠野出身の佐々木喜善が語った内容を、柳田国男が聞き書きしてまとめたものです。
これの二七に該当する話があります。
「池の端」という名前の家の主人が、手紙を託される話です。
途中で手紙を差し替えてくれる六部は、全国66ヶ所の霊場に法華経を納めて回る行脚僧のことです。こういう問題を解決してくれるのは、宗教的な知識人なんですね。
「橋姫」では必要な部分、すなわち黄金が出て富裕になるところまでしか説明されていませんが、『遠野物語』の方ではまだ続きがありますね。
妻が欲深く、沢山黄金に変えようと欲をかいたので、石臼の回転が止まらず、窪みの中に滑り込んでいって、小さい池になったと言います。
正直どういう状況なのかちょっとよくわからないのですが、この小さい池から名前をとって、「池の端」という命名譚になっています。
ちなみに、『遠野物語』の題目では「神女」となっています。
「神女」の話は二七ともう一つ、五四があるので、これもついでに見ておきましょう。
同じ、閉伊川での伝説ですが、イソップ寓話の「金の斧」みたいな導入ですね。
淵に落とした斧を探すと、2、3年前に亡くなった主人の娘が機織りをしていて、斧を返しくてくれます。
この事を黙っている代わりに、裕福になりますが、すぐに忘れてしまって、つい人に話してしまい、もとの貧乏に戻ってしまうという流れになっています。
「言うな」と言われているのに、喋ってしまう、見るなの禁止ではありませんが、この類型も沢山ありますね。
私がすぐに思いつくのは、『宇治拾遺物語』巻第七ノ一、五色鹿ノ事です。
命の恩人である五色の鹿のことを、黙っているように言われますが、欲をかいて大王に教えてしまったがために、男は首を切られることになってしまいます。
なんだかすごく印象に残っているんですよね。
10『雪の出羽路』
『雪の出羽路』は菅江真澄が文政7(1824)年に著した、秋田の平鹿郡の地誌です。
これは陸奥の赤沼の姉から、出羽の黒沼の妹への文通です。
手紙を素直に届けて、万福長者になったという幸福譚になっています。
これも「橋姫」ではここで終わっていますが、まだ続きがありますね。
「此ものがたりなンどより此処を福万ともいへるか、なほたづぬべし。」とあるように、これも地名縁起になっています。
また、黒沼で機織りをしている妹の目撃情報が加わっています。
これは『遠野物語』の五四にも似た感じがします。
どちらも機織りをしていますが、まぁ普通みんなやっていることなので、あまり重要ではないのかもしれません。
おわりに
今回は婦人が手紙を託す幸福譚でした。
と言っても最初の『遠野物語』は、災難を回避して幸福を得た話でしたね。
むしろ『雪の出羽路』が、大変ストレートで悪いところがなく、姉妹の文通というのもほっこりします。
なんだか面白みがないので、最後に「魂の身にそはぬこゝちして、身の毛いやだち足をそらに逃帰り」なんてのを付け足したんじゃないかと邪推してしまいます。
これは余談ですが、最近『菅江真澄事典』が出ました。
※稲雄次(2023)『菅江真澄事典』無明舎出版
たまたま図書館の新着コーナーで見かけて知ったのですが、7年前に調べていたときには、まさかこんな本が出るなんて思ってもいませんでした。
熟読する時間はありませんでしたが、パラッと確認した感じ、これは読んでおいた方がよさそうだな、と思ったので、また確認できたら、書き足しておきたいと思います。