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自分のことをどれだけ書けるかやってみたーその12

このシリーズ、13まで書いた気がしていたのにまだ11だった。
頭の中でこねくり回している時間が長いのかもしれない。
そのうち、日々の時間に追われて、書こうと思ったことを忘れている。
そうだ、これからは思い立ったら書いてみる。
とは言え、結局は下書きに眠らせて、終わりになってしまう。
なんだ、やっていることは同じではないか。

そう、わたしはよく思いつく。閃く。実にいろんなことを根拠もなく思いつく。そして、それを口にしたら最後。もう、そのことのついてあまり関心がなくなる。熱しやすく冷めやすい。飽きっぽい。
ろくでもないやつだ。と思う。

新年の初めに目標を立てて、なにかしらそれに向かって、努力を始めるわけですが、気が付いたら別のことをしているなんてことも多々ある。

続けていることと言えば、こうやって書くこと。
特に中学生から大学を卒業するまでは詩を書き続けた。
そして今も時折、書いている。
詩に関しては詩の技法を研究するとか、詩人の作品を味合うとか
そんな努力は一切せずに、思うがままに綴る。
いわゆる自由詩なのかもしれないけれど、心の内から沸き起こる衝動を一定の法則で書く、技法を駆使して云々という方面に凝りだしたら、きっと長くは続かなかっただろう。
ただ、そこに言葉があった。想いがあった。感動があった。
それを言葉に綴っていく。それがわたしには詩だった。
noteを始めて、俳句という分野に興味を持ちだしたのだけれど
制限の中でいかに表現をリアルに鮮やかに切り取るかということを突き詰めたものが俳句な気がしている。なのできっとわたしには書けない。
これからもゆがんで見える世界の中で何か一筋の光みたいなものを綴っていくには詩というスタイルがいいのだと思う。

と書きながらまた、別のことを考えている。
そして、ここは自分のことを書く場所なので、まぁ、いいかっと、お気楽なことも考えている。 
わたし=書くこと。作家でもないのによくもまぁ、堂々と…。それくらい、書いていると時を忘れてつらつらと書いてしまうのです。

書くことについては去年ちょっと語ってみたことがある。

わたしはきっとおしゃべりなのだと思う。話すことが苦手がゆえに、書くということに傾いてしまった気がする。
結局は承認欲求が強いのかとも思うのだけれど、ちょっと違う気がする。

小さいころから思っていることなのだけれど、人っていうのは細胞の塊、この宇宙を回すための構造の一つなのだ。宇宙全体を人体に見立てると人は赤血球とか同じようなものではないかと。いやいや、宇宙からしてみれば、構成されているものというより、悪玉菌ぐらいな存在なのかもしれない。
とにもかくにも人は凄いものではなく、地球の一部、宇宙の一部。それ以上でもそれ以下でもない。何かしらの役割があるから、今のところ存在できているのだろう。もし、人間が異物とされればその時は容赦なくわたしたちは消される。
これは悲観的な話をしているのではなく、そんなものだと思っているという話。だからこそ、人はその役目を精一杯、生きなければいけない。この地球のように。虫や植物、他の生き物すべてのように、人間が一番だなんて考えずに、バランスの中で生きていく。どの時点からこんな風に考えるようになったのか、何かきっかけがあったのか、わたしには分からない。
海を眺めて静かに考えた。それだけなのかもしれない。

幸せなんてあるようでない。ないようである。在るようにしか人は生きられない。

難しい話になってしまった。

自分の話。実はここに今年、やってみたいことを書くつもりでいた。

まずは、「英語と子育て」について書いてみたい。
わたしは英語を学ぶことについて調べるのが好きです。言語習得というのは調べれば調べるほど、面白いです。どうやって人は言葉を話すようになるのか?
わたしが大学生の頃は翻訳機というのは使えない。AIの翻訳は誤訳が多いなどと言われていた時代です。コンピューターに言葉を習得させるのは難しい。ほんの二十数年前です。
日本でも小学生が学校で英語を学ぶ時代。
ここまで時代が変わってしまったので、もう一度、自分なりに英語と子育てについて考えてみたくて、もしかしたら
子どもたちともう一度、英語の勉強をしたいのかもしれない。
どんな形で書き上げるか、検討中。

もう一つは氣読み。
評価としては占いなのだかもしれない、けれど占いというよりは、そこにある氣を分析しているだけ。だから、よくするもわるくするもあなた次第。
だからわたしは占い師ではなく氣読み士。
実はわたし、占いについて調べたりするのは好きなのだけれど、占い自体は信じてないというか、頼っていない。
昔、秋葉原の駅で、手相の勉強をしているので手相を見せてください。と言われ見てもらったことがあった。当時のわたしの手相は薄かったらしく、よくわからなかった。
まだ、勉強中の方だったからかもしれないけれど、
「なんだ、結局は自分で自分の道を選んでいかなければいけないのね」と思ってしまった。
人がとやかく言ったところで、その運命や定めがあったところで
どうするかは自分次第。
だからわたしは氣読みをして、自分の道筋を立てる参考にしている。
たまたま、振り返ってみると、なるほどと思えることがあるので、生きていくためのツールの一つとして使っている。
なるほどなぁと思えるところがあるので、氣読みをすることで何かお手伝いをしたい。
特に子育てされている方のお力になれることがあれば何かしたい。ここ数年で学んできたようなことも何かしらの形で還元できたらいいと思う。

とはいえ、今年は息子さんも小学校に進学。何かと忙しい。
どこまでできるのか。
とりあえず、ここに書いたから忘れないだろう。

思い付きで、せっかちで、飽き性で…それでもマイペースでコツコツと。

羊というわたしの色を増やせるように、
今日もわたしはわたしの中に潜り込む。



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羊
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