生きること-きっと大切なことは本能的に備わっている
開戦。そう、戦争が始まった。もう、何度目だろう。そんな話を聞くのは。遠くの国でそれは始まり、まるで映画のような、ゲームのような世界が画面いっぱいに広がり、嘘なのか本当なのか分からない情報が一気に、なだれ込んでくる。
例えば今、ここで空襲警報がなったら、あの、J アラートの独特な響きが街を覆ったら、わたしはどこへ行けばいいのだろうか。
防空壕なんてないこの世界で、明日のことをいっぱい考えられるこの国で、それはどれくらいの危機でわたしたちを動かすことができるのだろうか。
ただただ、苦しすぎる。
わたしには重い日々。何を書いたらいいのか。何をしたら…。
何もできない。
戦うと決めた以上、世界は決着がつくまで進むしかない。
どうしてだろう。
生き物は自分の生きる場所を知っている。縄張りだって、食べ物だって自分の分だけ。それ以上でもそれ以下でもない。
けれど人間は違う。
この先の未来を分かっているのに、ただ、慌てている。
そう、全てし過ぎてしまった。行き過ぎてしまった。
わたしもその中の一人。
背負う罪は大きい。
難しい。
自分でも書いている意図が分からない。
心が苦しい。
重くて重くて…
それでも生きていかなければいけない。
誰の為に?
わたしは死にたくない。生きたい。
「もし、明日、戦争が起きたらどうする?」
「僕はみんなの為に戦う」
「戦う相手は人なんだよ。ゲームみたいにはいかないよ。そこで自分が死んでしまうかもしれない」
「う~ん。わかんないけど、逃げる。僕が大事なのは僕だよ。一番、大事だから、やっぱり逃げる。生きたい」
何が正解なのか、正解があるのかわたしには分からない。
きっとなんの話をしているか分からないだろう。6歳だ。そんな息子に問いかけていること自体、滑稽なのかもしれない。
けれど、聞いておきたかった。
ただ、わたしは生きていて欲しい。
どんなに世界が残酷であったとしても。
その命がいつどこで尽きるかはその命次第なのかもしれないけれど
最期まで生きていて欲しい。
いくら考えたって答えはない。
この重苦しい気持ちを取り去ることはできない。
自分で振っておきながら自分の答えも分からないまま、妙な問いかけをしてしまった。
「自分が一番、大事でしょ」
そうなのだ。
いつかはみんな死んでしまう。その時を自分で決めることはできない。
けれど、その時までは生きる。
かっこ悪くたって、ドタバタだって、生きる。
だから、きっとわたしは逃げる。
それがわたしの戦いなのだと思う。
自分が大事で何が悪い。
胸を張って言える人でありたい。