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いつでも帰って来れる場所


今日もゆるりとした文章です。


ものを手放すって結構疲れる。
ひたすらに判断することを繰り返しているからだと思う。
そのくらい「決める」って脳に負担なのね。


昨日ご紹介した本「手放す練習」にこんな文章がありました。


実は、外向型より内向型の人のほうが「脳内物質ドーパミンを分泌しやすい」、つまり「刺激を受けやすい」という事実がわかっている。平たく言うと、内向型の人のほうが高感度であるため、圧倒的に「疲れやすい」。
「手放す練習」ミニマリストしぶ




いや、まさに。


最近はひとつひとつのことに集中して終わらせようという気持ちから、出来るだけ自分に刺激になることからは避けていました。


アプリやSNSと関わる時間を減らして、コミュニティでの活動も最小限に。


あれもこれもとなるとアップアップしてしまうと気付いたから。
今優先すべきは引越し準備だと決めたから。


もしかしなくても、ミニマリストになった方が楽に生きられそう。






少し話は変わるけれど、
私が作りたいnoteの世界って、そういった人達の休憩場所みたいなところかもしれないと思いました。



というのも、私が心から好きだなあと思う文章はどちらかと言うと、情緒的。

おそらくたくさんの小説やエッセイを読んできたのだろうなという方たちの文章で。


日々起こったことを丁寧に汲み取って、そこから更に自分なりの気付きや内省をすくいあげている。
一日の終わり、ぼんやりとしたオレンジ色の光の中で机に向かっているのが浮かぶような、日記のような文章です。



すごく、ほっとする。

おこがましいかもしれませんが、
感覚が近いんだろうなと思ったりする。


noteの育てかたは更新している人の数だけあるかと思います。

私は帰って来れる場所でありたいなあ。
と、今書いていて思いました。


なんだか安心できる、
ここにいて良いのだと思える、そんなところ。


だから、ずっとここにいなくても良いんです。
人生には頑張りたいモードがきっとあって、そういう時には向かない文体であると思うから。


だけど、疲れてしまうこともある。
ちょっと休みたいなと思うことがある。
そんな時に寄れる場所。


フォローせずにふらっと来て、
たまたま目に入った記事を読んで、
気に入ったらスキを押していく、
という形で良いなあと思うんです。


立ち読み、ともちょっと違う、
本の置いてあるカフェみたいな場所にしたい。


そんな綺麗事を書きながら、
フォローしていただけるのが嬉しいし、
年内100人行ったら嬉しいなあという思いもあります。

ああ、矛盾だらけ。




最近は刺激的なものに触れすぎたかなあ。


自分らしいを忘れずに、
相手らしいを尊重できるように。


本当は今日は書きたい記事があったのですが、
なんとなく気分ではないなと思ってやめました。



この内容の文章を朝に書くと、全く違ったものになりそうだなあ。

5連勤の3日目が終わったので実質今日は水曜日。


あともう少しがんばります。
おやすみなさい。

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