好きな歌に好きを言いたい 2021/3/24
ほんたうに桃とおもへるうちはいい桃だから手にとつてごらんよ
平井弘『遣らず』
本当にそれは桃なのか、と問うような上句
桃だから手に取ってごらんよ、と囁く下句
一読してちぐはぐなことがわかる。一首の中に違う主体が存在しているような、居心地の悪さがある。
それでも妙に心に残り、もう一度読むと、本当に主体は別々なのだろうかと思えてきた。一首の中で、同一人物のなかにある人格がぶれている、そういう歌なのではないだろうか。
「わたし」のものの見方や意見が常に一環しているかといえば、はっきりいってそうでもない。時間が経てば、立場が変われば、話す相手が違えば、見方がぶれるどころか真反対になることだってある。それくらい人間の態度など曖昧なもので、残念ながら簡単に環境に左右されてしまう。日和見、ご都合主義、と言われればそうなのかもしれないが、自分の心を守るための可塑性なのかもしれない。
そして、ぶれがあるのは人間ひとりのことに限らず、大中小さまざまな組織や民族、国に至るまでそういう部分があるのではないだろうか。
そんなぶれ、ゆらぎを良いとも悪いとも言わず、ただそういうものなのだとこの歌には提示されたような気がした。
また、選ばれたものが「桃」なのも不気味だ。桃の、うぶ毛のある丸い手触りは人肌を連想させる。そして長く放置すれば桃とは思えないほどぐずぐずに崩れてしまう。
桃でなくなったものを手に取ったとき、桃だったものは、わたしの手は、どうなってしまうのだろう。
出典: 歌集 遣らず/平井弘 2021年発行 短歌研究社
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