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生と死と今日。

最近しゅうさんのnoteが僕含め、竜真会のブームになっている。

このブームにはしっかり乗っていこう。

ってことで、今日はこのnoteをパクっていく!

いいよね。こうゆうカップル誕生秘話。

ラブコメマンガを見てる気分。

まぁその辺のストーリーは是非とも読んでみて欲しい。

ラブコメにネタバレは禁物だからね!

じゃあ今日は何を書くのか。

「死」を意識する事で「生」を完全燃焼させることが出来る

https://note.com/shu_energy/n/nfbd6606f64bf

この文章。この概念。いいなと思って。

要するに対局にあるものを両方取り入れ、中庸でいることが人としての生き方だってこと。

「生」と「死」って対局の存在だよね。

この二つは両方あってこそ存在する。

ゴールの無いマラソンを永遠と走り続けることはできない。

人は死というゴールがあるから生きて走ることができるのだ。

まぁ言われればわかるよね。

しかしこれだと「死に向かって生きる」というちょっと怖いことを思いながら走らなければならなくなる。

マラソンのゴールは達成感があるはずなのに、人生のゴール、つまり死には少し怖いイメージがあるのは何故か?

中庸が無いからである。

中庸ってのは真ん中。対局のものがうまく混ざり合いバランスが取れている状態。

よく「ご飯は腹八分目までにしとくと健康的」と言われる。

これも中庸の考え方で、腹が空いていても力は出ないし、食べ過ぎてもその後動けなくなる。

エネルギーを得つつ、体を動かすには腹八分目が中庸。つまりバランスがいい。

これはさっきの「生」と「死」にも言える。

「生」を感じ過ぎると「生きてる時間は無限なのだ」という気がしてきてだらけてしまう。

「死」を感じ過ぎると「死に向かって生きている」感覚に恐怖する。

生死の中庸は「今日」なのだ。

人はいつか死ぬことを認識した上で「今日を生きる」。

なぜ本や発信の多くが「死」を意識させるかというと、ほとんどの人は「生」に偏っているから。

「生が無限にあり、この若い時間が永遠である」と、なんの根拠もなく思っている。

だから「死」というのを認識させるのだ。

で、その「死」を認識した次のステップが「今日を生きる」という中庸。

人はいつか死ぬ。だから後悔無く最高の人生を送るためビジョンを立てる。そのビジョンを達成するために今日をどう生きようか。

マラソンにはゴール(死)を見据えてのペース配分や相手との競争をする今(今日)がある。

だからゴールした時に感情が溢れるのだ。

負けたら悔しいし、勝ったら嬉しい。

その気持ちを胸に次のゴールを見据え、また今日を生き始める。

死があるから生があり、生があるから死がある。その中庸が今日である。

中庸の考え方は結構大事。

それを思い出させてくれるnoteだった。

ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。

じゃあ、また。


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