生と死と今日。
最近しゅうさんのnoteが僕含め、竜真会のブームになっている。
このブームにはしっかり乗っていこう。
ってことで、今日はこのnoteをパクっていく!
いいよね。こうゆうカップル誕生秘話。
ラブコメマンガを見てる気分。
まぁその辺のストーリーは是非とも読んでみて欲しい。
ラブコメにネタバレは禁物だからね!
じゃあ今日は何を書くのか。
この文章。この概念。いいなと思って。
要するに対局にあるものを両方取り入れ、中庸でいることが人としての生き方だってこと。
「生」と「死」って対局の存在だよね。
この二つは両方あってこそ存在する。
ゴールの無いマラソンを永遠と走り続けることはできない。
人は死というゴールがあるから生きて走ることができるのだ。
まぁ言われればわかるよね。
しかしこれだと「死に向かって生きる」というちょっと怖いことを思いながら走らなければならなくなる。
マラソンのゴールは達成感があるはずなのに、人生のゴール、つまり死には少し怖いイメージがあるのは何故か?
中庸が無いからである。
中庸ってのは真ん中。対局のものがうまく混ざり合いバランスが取れている状態。
よく「ご飯は腹八分目までにしとくと健康的」と言われる。
これも中庸の考え方で、腹が空いていても力は出ないし、食べ過ぎてもその後動けなくなる。
エネルギーを得つつ、体を動かすには腹八分目が中庸。つまりバランスがいい。
これはさっきの「生」と「死」にも言える。
「生」を感じ過ぎると「生きてる時間は無限なのだ」という気がしてきてだらけてしまう。
「死」を感じ過ぎると「死に向かって生きている」感覚に恐怖する。
生死の中庸は「今日」なのだ。
人はいつか死ぬことを認識した上で「今日を生きる」。
なぜ本や発信の多くが「死」を意識させるかというと、ほとんどの人は「生」に偏っているから。
「生が無限にあり、この若い時間が永遠である」と、なんの根拠もなく思っている。
だから「死」というのを認識させるのだ。
で、その「死」を認識した次のステップが「今日を生きる」という中庸。
人はいつか死ぬ。だから後悔無く最高の人生を送るためビジョンを立てる。そのビジョンを達成するために今日をどう生きようか。
マラソンにはゴール(死)を見据えてのペース配分や相手との競争をする今(今日)がある。
だからゴールした時に感情が溢れるのだ。
負けたら悔しいし、勝ったら嬉しい。
その気持ちを胸に次のゴールを見据え、また今日を生き始める。
死があるから生があり、生があるから死がある。その中庸が今日である。
中庸の考え方は結構大事。
それを思い出させてくれるnoteだった。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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