話がおもしろい人は余白を作る
「〇〇さんの話、聞いてておもしろいです」
ある日の竜真会議で飛んだ褒め言葉。
こうやって日々高め合っているんだよね。褒められると素直に嬉しい。
でもその褒められた人の反応は、
「それ日常でも言われることあるんですけど、どこがおもしろいのかがわからないんですよね。特に意識していることは無いんですけど。」
これは「しゃべりの天才現る」ってやつでは無いか?
たまにいるよね。
こんな感じでしゃべりがおもしろくて「どうやってんの?」って聞いても、「適当にしゃべってるだけ」と答える天才。
そうゆう時って本人はほんとに素でやっている。
なにも意識せずにおもしろい話ができるから説明しようが無いのだ。
いつも当たり前に使っているWi-Fiがどうゆう理屈で通信されていて、どうゆう構造になってるかなんてわからないでしょ。
でも通信できるから使っている。
しゃべりの天才もそうゆう感じで「理屈はわかってないけど使えてる」状態。
それでもいいのだけど、この天才こそもっと世の中に出していって、その能力を存分に使えるようにしたい。
そうなると、この疑問を投げかけるのは話し手である天才ではなく、おもしろいと感じた自分の感情を探るといい。
そこで一つ、話がおもしろい人の特徴みたいなものがわかったのでアウトプットしていこう。
答えは聞き手に想像の余地を残す話し方をしてくれる人。
会話って互いの反応し合いなのよね。
それなのに自分だけペラペラ話す一方的な会話、授業に近い話し方をする人がいる。
「自分語り」と言われるやつだね。
相手が入る隙が無い話し方をする人。
これだと互いに反応し合う「会話」が成り立たなくなる。
話が上手い人は相手が入る隙間を作る。
そのためにやるのが例え話。
さっき書いたWi-Fiのくだりみたいな例え話を会話にスッと入れる。
そうすることで「リモコンもそんな感じだよな。通信の理屈はわからんけどボタンを押せば操作できる」と、反応を相手に生ませることができる。
もし例え話を使わずに「天才は自分の能力をわからずに使っている」という話をすれば、「たしかにいるよね」くらいの共感で終わる。
で、話が終わって振り返ってみると、ただ事実を淡々と述べられただけで何も変わらない状態がある。
教科書通りに進める授業と同じ。
書いてあることを板書してノートに書き写す作業に先生はいらない。
先生の役割は教科書の内容と生徒を紐付けること。
明智光秀がなんで信長を本能寺に追い詰めたか。
「信長の居城に家康を招く際の案内役を命じられて、折角だから京風の料理で楽しんでもらおうとセッティングしたら『家康殿の故郷、三河風の料理出すだろ普通』と家康やその家臣が見てる大勢の前で怒られ恥をかかされた。『一任したくせにケチをつけるな』『京の味でもてなしてもいいだろうが』戦国武将でも現代の上司と部下のような食い違いが起きているし、戦国時代ではそれで謀反を起こされる。現代のパワハラ上司は命拾いしたよね。」
みたいに話すと「本能寺の変」が印象に残る。
それは遠い昔の戦国時代を現代の会社事情に例えてわかりやすくしてあげるから。
そうすることである生徒は「バイト先の店長」が繋がったり、ある人は「部活の先輩」が浮かんだりする。
こうやって例えてあげると、その人ならではのできごとや発想に繋がる手助けになる。
人って答えを教えてもらった時より、ヒントをもらって自分で解いた方が達成感が得られるんだよね。
その自分で解くためのヒントになるのが例え話。
その例え話がわかりやすい程、相手自身の中に繋がりができて答えが出る。
こう考えると会話って、双方賢くないとできないものだね。
どれだけわかりやすく例えても赤ちゃんに話は通じないし、専門用語やカタカナ語ばかり使って話す人は一般常識がわかっていない。
つまり天才の話を「おもしろい」と思える聞き手も頭がいいということ。
そんな最強の集まり「竜真会」での日常の一部の紹介noteでした。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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