名付き生まれた都合のいい存在に逃げ込むな
人という動物も、日本という国も、お猿というネット民も、「名前」が付いているから存在している。
名前がわからない「何者か」といういるのだけど名前が無い存在は恐ろしい。
だからとりあえず「UFO」とか「C〇VID‑19」と名付けることで存在を確立している。
それで救われることもある。
例えば精神疾患。
過去では「ただ根性が無いだけだ」なんて言われていたけど、今はその症状に名前が付けられ、れっきとした病気として認定されている。
今の時代に「根性無し」と言えば労基が出てくる。
そうなったのは、症状があって、そうゆう人がたくさんいて、「これは病気なんだ」と偉い人が名付けたから。
だから「ADHDだね」と診断し、病気として処置してもらえる。
名付くことで生まれ、存在しているおかげで助かる人がいる。
が、メリットもあればデメリットもあるのが世の常。
名付くことで生まれ、存在することでそこが逃げ道になる場合がある。
例えば「蛙化現象」
以前Twitterで話題になっていたやつ。
簡単に言うと、好きな相手が自分に好意を持っているとわかると冷める、というものらしい。
「性的な目で見られていると思うと気持ち悪い」
「こんな自分を好きになるなんておかしな人だ」
みたいな感情を持つらしい。
これがいいか悪いかの話ではない。
「そうゆう人がいるんだな」程度の認識でいい。
問題なのは、「蛙化現象」と名付いた居心地のいい存在に定住してしまうこと。
恋愛と性欲を切り離して考える方が不健全なのだ。
好きな人に触れたい、触れられたいという感情は正常だし、この性欲があったから人類はここまで発展してきたのだ。
触って欲しくない相手に触られることは犯罪だ。
だけど自分が触れたいと思って近づいたのに、相手がその気を見せると冷めるのは、画面の中の綺麗な恋愛を見過ぎである。
「こんな自分を好きになるなんて」は自己肯定感低すぎ。
人を愛す前に自分を愛せ。
そして自分に愛を向けてくれる人がいるのだから素直に受け取れ。
経験したことない、知らない自分になるというのは不安だろう。
だけどその不安から逃げていては成長は無い。
人生なんて不安の連続だ。
知らないこと知って、どんどん汚れて大人になる。
これが「人間」という名付くことで生まれてきた存在の生き方なのだ。
現代社会は無駄な存在を生みすぎである。
「陽キャ」「陰キャ」とかもそう。
陰キャでもモテるやつはいるし、陽キャでもアニメ好きはいるのだ。
この判断基準がわからない。
僕が中学生の時はそんな区分け無かった。
高校に上がった途端「この学校は陰キャしかいねぇ」なんて言葉を言われた。
ようはネット用語が一般化したってことでしょ。
ネット民が陰キャ、それ以外が陽キャみたいな区分で自分を下げて呼んでいたのが、ネットの普及とともに一般化して「ネットを使う陽キャ」が生まれた。
お遊びの言葉なのだ。
それを蔑みに使ったり、自分を貶める言葉に使ったりするから枠から抜け出せなくなる。
僕は僕である。
そう思える人が増えれば「表現者」と名付いた存在が、世の中をおもしろくしていくだろう。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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