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文字発想と映像発想

執筆日:12月2日


昨日、だいなさんと電話した。



将来のビジョンを語ってくれて、めちゃくちゃワクワクしたと同時に、「彼なら絶対叶えられるな」と思い応援したくなった。


上で引用したツイートの通り、彼が脳内で生み出した映像が「言葉」というケーブルで僕の頭に繋がり、僕の脳内で再生されるという、彼の表現の強みがバンバンに出ていた電話になった。


「脳内で映像が見えるのって強いな」


僕は基本的に文字が浮かんでくる。


こうやって昨日の電話を思い出して書いている時も、


  • 「あの話をした」

  • 「この時こう思った」

  • 「楽しかった」


ってのが文字で出てくる。


多分だいなさんはこうゆう時、映像で浮かべるのだろう。


で、映像が浮かんでいた方が話しやすい。


「言語化しやすい」の方が合ってるかも。


浮かんでる映像の情景を言葉にすればいいわけだから言語化しやすい。


つまり伝わりやすいんだよね。


表現者として、人に伝える活動をしている身としては、「伝えやすいツール」があるのだから積極的に取り入れたい。


けど、この「脳内テレビ」は発売されたばかりで、だいなさんとお話できれば見られるんだけど、僕だけになるとまだ主流は文字なんよ。


ほんとに50年代。


テレビを持ってる家にみんなが集まった時代。


その年代に生きてたわけじゃ無いからもっと最近で例えると、最新ゲームを持ってる家にみんなが集まってくる感じかな。


とにかく「その家」に行かないとテレビが見られないように、僕もだいなさんにコードを繋いでもらわないと映像が見られない。


で、電話の中でも言ったけど、この体験は「新聞しか無いところにテレビが現れた」のと同じだと思う。


そしてご存じの通り、テレビはこれから覇権を取る。


映像を文字や言葉にして発信するより、映像を映像として発信した方が「伝わりやすい」から。


この脳内に映像を映す技術は絶対習得する。


だって表現した時の伝わり具合が段違いだもん!


じゃあこれまでの、文字認識はオワコンか?


そうじゃない。


新聞やラジオはたしかに主流ではなくなった。


だけど今でも残っている。


テレビが出て、ネットが出てきてもまだある。


「終わる終わる」と言われて来たのに続いている。


なんならネットの世界で「文字の需要」や「音声の需要」は増えている。


だからnoteってサービスがあるし、stand.fmってサービスもある。


だいたい、だいなさんの映像発想やその映像を相手に見せるすごさに気づけたのは、僕が「だいなさんのすごさ」を感じ取り、表現できたからなんよ。


文字には文字のすごさがあり、映像には映像の力がある。


だいなさんの発想の仕方が革新的で、ほんとに新しいものが来た感じがした。


だから「テレビが初めて来た」なんて自分を時代遅れと表現をしたけど、僕は僕ですごかった。


このnoteは結局、何が言いたいのだろう。


ね?映像発想ができてないから伝わらない。


でも逆に考えれば自由に考えられるってことなのよ。


  • 僕のように文字で発想する人を肯定する風に捉えてもいい

  • 「脳内テレビ革新的だな」と自分の表現活動に取り入れてもいい

  • 逆に映像発想している人は、自身の「すごさ」を知ってもいい

  • 僕のポジティブな考え方を学んでもいい


決まった映像が無いからこそ、自由に捉えられる。


これが僕の強さだな。


だいなさんが映像を送信できるなら、僕はnoteの下書きでも送ろうか。


前々から思ってたけど、だいなさんと組めば何かすごいことできそうだよな。


絵が上手い×文章が上手い
感覚的発想×論理的発想


=おもしろいもの


ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。


じゃあ、また。


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