感謝なんかするから自己肯定感が上がらないんだ
自己肯定感を上げる方法は、例えばTwitter(X)にすべて載っています。あそこは言葉の世界だから、なんでも載っている。
例えば「日記を書きましょう」「いつも笑顔で!」「感謝しましょう」「感情を書き出してアウトプットしよう」「ポジティブ日記で意識を変えよう」「変化できなくても受け入れよう」「ありのままの自分を受け止めてあげて!」
などなど。
しかし、それらをやっても、実際に自己肯定感が上がることはまずありません。
上がったつもりになって、すなわち「いい人」のつもりになって、いつも気持ちの悪い笑顔をしている人はいます。そういう人は重要な感情のいくつかを置き去りにしてきてしまったので、気持ち悪いのです。
例えば、「いつも笑顔で」を実践しているうちに怒りの感情を忘れてしまった人。人間は怒りたいときに怒るのが普通ですが、24時間365日笑顔で「いい人」を通そうと思えば、怒るわけにいかないので、怒りの感情がどこかに消えてしまいます。
すると、とても気持ちの悪い人になってしまうのです。
さて、ネットにあがってる自己肯定感の上げ方を実践しても、なぜ真に自己肯定感が上がらないのか?
真に自己肯定感が上がるというのは、言葉の世界を一旦離れるから上がるからです。
〇〇すべき、という標語的考えをいったん離れて、自分の思うように生きることによって、それまで忘れていたことが思い出される。だから自己肯定感が上がるのです。
心というのは、そのようなメカニズムになっています。
しかし、そのことを指摘する専門家はいません。科学の心理学をやってる精神科医たちは相変わらず、科学的データという枠の中で患者と向きあいます。すなわち、言葉と数字の世界の中で、感情と向き合います。自己啓発が大好きな人も言葉の世界に戯れています。
それでは真に自己肯定感なんて上がるはずがありません。
データとして上がってこない部分が病んでいるから自己肯定感が低いのだから。
しかしアメリカ由来の心理学が大好きな日本の精神学界にそう言っても馬耳東風。自己啓発大好き人間は言葉に酔いしれる自分が好きだから暖簾に腕押し。
現代社会は言葉と数字の洪水です。その洪水を無意識のうちに受け止めているのが私たちです。すなわち、気づかないうちに言葉と数字の世界にしがみついて生きているのが私たちです。
わかりやすい例を出すなら、「あなたはなぜそれをしたのですか?」と問われて、「なんかわかんないけど、なんか直感的にしました」では済まされない世界に住んでいます。
そのことを私たち全員が知ってるから、私たちはすべての行為に意味を見出そうとします。その意味を他者に納得した理解してもらおうと思えば、数値的に説明できた方がいい。だからデータに頼ります。データにならない気持ちを惜しげもなく捨て去ります。
そうこうしているうちに、自己肯定感がどんどん下がっていくのです。
じつは、数字と言葉から意識的に自分を解放することによってのみ自己肯定感は上がるのです。