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つたやじゅうざぶろう。

…誰でしたっけ? 何をした人?
そう思った人も多い、と思います。
実は、私もそうでした。

本記事ではこの
蔦屋重三郎さんについて書いてみます。

つたや、ツタヤ、TSUTAYAと書けば、
「あの本屋、レンタルもできるお店…」と
ぱっと思い浮かぶかもしれません。

この店と重三郎は直接には関係ないそうです。
創業者である増田宗昭の祖父が
営んでいた事業の屋号が『蔦屋』
だったから名付けた。ただ、
「蔦屋重三郎」にあやかって名付けた、
という理由もあった、とか。

TSUTAYAがあやかった、蔦屋重三郎。
江戸時代の人です。
「時代劇」でよく扱われる時代。

1750年~1797年。
五十歳くらいまで生きて、死んだ人。
(江戸時代の平均寿命から考えれば
ふつうかもしれません)

人呼んで『蔦重』。つたじゅう、です。
「江戸の出版王(メディア王)」
などと呼ばれたりします。

そうなんです、この人は
自分で作品をクリエイトした、というよりも
他人に作品をクリエイトさせた側の人。

重三郎に関わった人の名前を見ると、
学校の歴史の授業の中で
何となく聞いたことがある人が、ずらり。

喜多川歌麿。歌川広重。
東洲斎写楽。葛飾北斎。
曲亭馬琴。十返舎一九。…他多数。

うん、何となくイメージ的には
「江戸の文化」のあたり、
「浮世絵」「南総里見八犬伝」などの
キーワードともに覚えたな…みたいな感じ。

綺羅星の如きクリエイターたちの作品を
世に出したのが、この蔦屋重三郎なのです。
現代で言えば「蔦重チャンネル」とか
「蔦重オンラインサロン」などを開設して
「この人の作品、すごいんですよ!」と
世の中に紹介して広めていったような感じ。

蔦屋重三郎の生涯。
少しだけ、書いてみましょう。

彼は、1750年に生まれました。
八代将軍徳川吉宗が死んだのが、1751年。
ほぼ同じ頃ですね。
「暴れん坊将軍」の次の時代の人です。

徳川吉宗の後は、
「田沼意次」が権勢を握って、次いで
「松平定信」が「寛政の改革」を行う…。
そのあたりの話。

父親は、江戸の吉原の遊郭の勤め人。

吉原の遊郭、と言えば
『鬼滅の刃』で炭治郎たちが
宇随さんと一緒に上弦の鬼と戦ったあそこ。
(これはもちろんフィクションですが)

重三郎も吉原で生まれました。
後に喜多川さんという人の養子になる。

何しろ生まれたところですから、
吉原には詳しいんです。
そこで重三郎が手掛け始めたのが
「吉原細見」という本でした。

吉原細見。よしわらさいけん。

これは、吉原遊郭についての案内書です。
ガイドブック。
どこのお店にどんな人がいるのか、
などを詳しく書いた本。

鱗形屋と山本という二つの版元がありましたが、
重三郎が、鱗形屋に代わって
刊行することになりました。
ここから出版業に、深く関わっていくんですね。

1780年、30歳の頃に、
「黄表紙」「洒落本」「狂歌本」などの
様々なヒット作を世に生み出します。
1783年の頃には
一流の版元が並ぶ日本橋通油町に進出!
「錦絵」と呼ばれた木版画浮世絵も手掛ける。

そう、吉原からスタートして、
どんどん成り上がっていくんです。
いわば「敏腕プロデューサー」

世の中の雰囲気も、後押しします。
この頃は田沼意次の権勢の絶頂期。
江戸時代には珍しく
お金をどんどん使え!という時代。

…しかし、好事魔多し、とも言います。
時代の切り替わりが、すぐそこに来ていた。

1784年、田沼意次の息子が
江戸城内で刺殺されるという事件が起こる。
1786年、田沼意次を重用していた
十代将軍、徳川家治が死去…。

商業が盛ん、ということは
「貧富の差が拡大」ということでもある。
間の悪いことに、この頃は
「倹約令」が出たり「飢饉」が起きたりと
世情が少し不安定でした。

世に恵まれていない人たちは、
意次の息子を刺殺した
佐野政言(さのまさこと)を
「世直し大明神」ともてはやした。
まさかの田沼意次、失脚…!

はい、そんな中で登場したのが、
松平定信。寛政の改革を行った人。

この改革は、
行き過ぎた華美な文化を嫌いました。
娯楽を含む風紀の取り締まり!

1791年、山東京伝という作家の作品が
摘発されてしまいます。
京伝、手鎖50日の刑。
彼に関わっていた重三郎も、
「財産の半分」を没収されてしまう…。


その後も東洲斎写楽の絵を出版するなど
頑張っていきましたが、
1797年、重三郎は死去します。
「江戸患い」とも言われた脚気が原因でした。

一言で言えば、
「八代将軍吉宗の後の江戸、
田沼意次~松平定信の時代に生きた
出版王、メディア王、敏腕プロデューサー」

という生涯でしょうか?

自分自身ではなく、他者の才能を発掘し、
磨き、世の中に売り出した重三郎。

彼なくして、江戸の文化の
隆盛はなかった、とも言えます。
「浮世絵」や「小説」「狂歌」が
盛んになったのは、間違いなく、
この人の功績が大きかった…。

最後にまとめます。

本記事では「蔦屋重三郎」の生涯を
簡単に書いてみました。

もっと詳しい重三郎の生涯については、
2025年のNHK大河ドラマ
『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺
(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』

で描かれることでしょう。

脚本家の森下佳子さんの言葉を
一部引用紹介して、終わります。

(ここから引用)

『つた重の作り出した
黄表紙や洒落本の面白いこと、
錦絵の素晴らしいことはもとより、
その作者たちもそれぞれ極めて個性的。

でも、作品や逸話にほの見える心中には
物書きの端くれとして、
どうしたって共感してしまう。

周辺も面白い。
光と闇を抱え込む吉原の文化・役者の世界、
跋扈する伝説の泥棒、五千石心中、
そして報われぬ天才・源内。

その大きな背景には近づいてくる異国がある。
成り上がり田沼意次とサラブレッド松平定信、
怪物一橋治済がうごめく
きな臭い政治の世界がある。

そこに群がる有象無象や悪党たち。
天災、思惑、野望、罠、暗殺、暴動、転覆!

「戦」がなくなった時代だからこそ、
いかに生きるかどう生きるか、
己の価値、地位、富の有無、誇りのありどころ、
そんなものが新たな「戦」として
おもむろに頭をもたげだした。

それがつた重の生きた時代だ。』

(引用終わり)

家康、紫式部の次は、蔦屋重三郎!
ぜひ、引用元記事もどうぞ。

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