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高飛車、先手を取る、結局、成金…。
日本語には「将棋」に由来を持つ言葉
たくさんありますよね!

どうしようもなくなった時には「詰んだ」
群衆雪崩事故の時に「将棋倒しになった」
死地に向かわされたら「捨て駒にされた」

日本語にも大きな影響を持つ将棋ですが、
実は日本独自の進化、ガラケーのような
「ガラパゴスボードゲーム」なのです。
いわば、ガラショー!

本記事では、日本の将棋における
「独自の進化」について書きます。

さて、将棋に似たボードゲームと言って
真っ先に思い浮かぶものは?

「オセロ…。囲碁…。これらは白黒の駒で、
あまり将棋とは似ていない…。
あっ、そうだ、『チェス』は似てますよね?」

では、将棋とチェスの大きな違いは?

「うーん、駒の形がまず違います。
将棋は平べったいですけれども、
チェスは立体的というか…」

確かに。でも、それだけでは、ない。

「そうか、将棋は『持ち駒』があって
自分で取った駒を自由に再活用できますが、
チェスは倒したら退場です。もう使えない」

その通り! 細かな違いは色々ありますが、
一番の違いは「持ち駒ができるかどうか」

この「持ち駒」こそが、将棋を複雑玄妙な
奥深いゲームにしている、と言われています。
自由に空いているマスに使えるわけですから、
盤上の「見える」駒だけでなくて、
相手が持っている「盤上にない」持ち駒をも
警戒しなければならない…。

今ではAIの発達によって、
将棋を「数値」で優勢かどうか見極めることが
できるようになってきました。しかしそれでも
チェスに比べて、かなり自由度が高い。
複雑な展開になりやすいゲーム
、と言えます。

「でも、よく考えますと、
一度『殺した』『死んだ』駒が使えるのは、
ちょっと怖い
、ですよね…。
蘇り、ネクロマンサー、ゾンビ部隊というか…」

そう言う人も、います。
しかし、ちょっと待っていただきたい。

確かに「将棋」は「将」だから将軍のゲーム、
つまり「戦争ゲーム」という一面が、ある。
しかし日本の将棋においては、
相手の駒を『殺す』わけではないんです。

駒は『取る』もので、取ったら『持つ』もの。
…何度でも使い合える。自由に。

そう考えた時、将棋は戦争ゲーム、
駒はヒトだけを擬したもの、というよりも
「モノやカネを擬したもの」と言ったほうが
しっくりくる、のでは?


つまり、マネーゲーム、なんです。

「…確かに、玉・金・銀・桂・香、
これは『金銀財宝』のお宝、ですよね!
桂は、シナモン。香は、香料とか香木とか」

そうなんですよ。もちろん「歩兵」、
いわゆる「歩」は人間でしょうし、
「飛車」や「角行」は、馬車や牛車、
これらは乗り物ですけれども、

「王将・玉将」「金将」「銀将」
「桂馬」「香車」
これらは人や生き物ではなく財宝、
モノやカネをあらわしているのでは…?

「でも、なぜそうなったんでしょう?
チェスとは、どう違うのでしょうか?

うん、それを考えるのには、
将棋とチェスの「共通の先祖」から
考えていくことが必要でしょうね。

そもそも「戦争のボードゲーム」が初めて
生まれたのは、インドだと言われています。
「チャトランガ」というゲーム。これが先祖。

じきに、東西に普及していく。

東の端っこ、日本では「将棋」に進化した。
西の端っこ、ヨーロッパでは「チェス」に。
その歴史的な過程で、さまざまな仕様が
改変されていった、と考えられています。

もちろん、世界の他の国や地域にも
同じようなボードゲームがあります。
例えば中国では「象棋(シャンチイ)」
韓国では「将棋(チャンギ)」
タイでは「マークルック」。などなど。

これらのゲームでは、チェスと同様に、
駒は「取り捨て」で、もう使えません。
「持ち駒」というオリジナルルールは、
「日本の将棋」における特徴なのです。

「世界の他の地域では『戦争』っぽいのに、
日本では『マネーゲーム』になった…?」

ええ、ですけれども日本でも昔は
もっと戦争ゲームっぽかったんですよ。

現在の将棋は「本将棋」と呼ばれます。
駒の数、四十枚。

これに対して「古将棋」というのがあった。
「大将棋」「中将棋」「小将棋」など。
大将棋は、駒の数、百三十枚! 大軍勢!
中将棋は、駒の数、それでも九十二枚!
小将棋は、駒の数、やっと四十二枚…。

そうなんですよ、私たちが「将棋」と
呼んでいるボードゲームは、実は、
「歴史の中でどんどん取捨選択されて、
駒がそぎ落とされてきたもの」
なんです。

では小将棋と今の将棋の違いは、何か?
四十枚と四十二枚、その二枚とは?

小将棋には「醉象」(すいぞう)という
駒があった、と言われています。
君のすいぞうが食べたい、じゃない。
酔っぱらって暴れ回る「象」。

象、というのがいかにもインドっぽい!
つまり「小将棋」までは
チャトランガ風を残していた…?
ですが、昔の日本に象は住んでいません。
いないものは、イメージしにくい。
この「醉象」という駒が無くなってしまい、
今の将棋、本将棋になっていったそうです。


ちなみに醉象の裏面は「太子」と言い、
たとえ王将(玉将)が討ち取られても、
「太子」が残っている場合には
勝負を続行できた、とのこと。
(このあたりも「戦争ゲーム」っぽい!)

江戸時代に書かれた
『諸象戯図式』という将棋の解説本や、
浅草寺の石碑の拓本などによりますと、

室町時代の「後奈良天皇」
応仁の乱の後あたりの天皇
小将棋から醉象の駒を除かせた、そうです。

「応仁の乱」の後と言えば、戦国時代!

下剋上、血で血を洗うような時代の中で、
後奈良天皇は清廉で慈悲深い天皇だった、
と言われています。

実際にこの天皇が
将棋のルールを変えさせたのかどうかは
定かではありませんが、

盤上の戦いであっても
「死んだ、殺された、そんな
殺伐とした状況は、もう見たくない…」

そう考えていたのではないか?

将棋が、戦争ゲーム、殺人ゲームではなく、
『暴れ象』を無くして「マネーゲーム」に…。

チェスや象棋などのゲームとは異なり、
ガラパゴス化した日本独自の
「平和的な」ゲームに進化していったのも、

「和を重んじる」日本文化、島国文化が
影響した
、と言えるのではないでしょうか?

最後に、まとめます。

こうして生まれた「本将棋」は、
比較的平和であった江戸時代に
普及していきました。

現在では、羽生善治さんや
藤井聡太さんの目覚ましい快進撃もあり、
AI時代にも注目されるボードゲームとして
日本全国で親しまれていますよね。

しかし、その裏には歴史あり。
「戦争ゲーム」から「マネーゲーム」への
日本独自の改変、仕様変更があった…。


読者の皆様も「詰む」ことがないように、
「持ち駒」は欠かさないよう、ぜひ。

私も「高飛車」にならず、
「歩」の如く、一歩一歩ながら
着実に進んでいこう
、と思います!

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