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「東アジア」に日本がある以上、
近くの国の歴史も、概要だけでも
知っておく必要があるように思います。

特に中国王朝史

日本語が「漢字」と「かな文字」を
主体にしているように、日本は古来から
中国の影響を大きく受けてきた。

◆600年頃:聖徳太子(厩戸皇子)登場
◆700年頃:律令政治
◆800年頃:平安京に遷都
◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使
◆1000年頃:大河ドラマ『光る君へ』の頃
◆1100年頃:「院政」の開始
◆1200年頃:鎌倉幕府の誕生
◆1300年頃:鎌倉幕府の衰亡
◆1400年頃:いざ国まとめる足利義満
◆1500年頃:意欲に燃えるコロンブス
◆1600年頃:関ヶ原の合戦

本記事では、先日に書いたこの
かいつまんだ日本史と対比する形で、
「100年ごとの中国王朝史」を書いてみます。

◆600年頃:聖徳太子と遣隋使

春秋戦国時代(『キングダム』の世界)や
曹操・劉備・孫権の『三国志』など、
中国王朝は統一~分裂を繰り返しました。

600年頃、久々に統一。
「隋」(ずい)という国です。
ここに東の「日出処の天子」から
書状が送られてきた。
大国の隋はこれを受け入れて、
「遣隋使」がやってくることになる。

…ただ、五回しか行われませんでした。
なぜなら、618年に反乱が起こり
隋は滅亡してしまったから。
後を継いだのは、唐(とう)という国。
遣隋使は、遣唐使、へと変わった。

◆700年頃:律令政治と武則天

唐の二代目の皇帝、太宗李世民は
今でも「名君」として有名です。
言行録は『貞観政要』という本になり、
政治の教科書になりました。

この国で行われたのが「律令政治」

律は「刑法」、令は「行政法」。
「大化の改新」後の日本では、
唐の律令を取り入れて律令制度を整備する。

690年頃、何と「史上唯一の女帝」まで
登場しました。武則天(則天武后)です。
太宗の後宮の女性が、皇帝に!
例えて言えば「大奥」の女性が
国の最高権力者になる感じ。
彼女の頃、唐の版図は最大になりました。

◆800年頃:反乱でダメージ

…ただ、盛者必衰、とも言うべきか、
大国の「唐」も徐々に衰えていきます。

傾国の美女「楊貴妃」の名は有名ですが、
8世紀前半、愛に溺れた皇帝の玄宗は
彼女の又従兄弟の「楊国忠」を重用していく。

この楊国忠と権力争いをしたのが、
安録山(あんろくざん)です。
「君側の奸、楊国忠を倒す!」と挙兵。
なんと、都の長安が陥落。
逃亡中に楊国忠は死亡し、楊貴妃は自決。

「魚は頭から腐る」と言いますが、
色に溺れて国を傾けた罪は大きかった…。

◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使

894年「ハクシに戻そう遣唐使」と、
日本は遣唐使を廃止しました。
衰亡していた唐から
学ぶべきものはない…という態度。

907年、唐が滅亡。
「忘れてクレナと唐滅ぶ」と覚えます。
ここから約七十年間、
「五代十国時代」と呼ばれる戦乱が続く。

◆1000年頃:超教員、趙匡胤

日本で『源氏物語』が書かれて、
藤原道長が栄華を極めていた頃の話。
趙匡胤(ちょうきょういん)が
建国した「宋(そう)」が繁栄しています。
超教員ではない。趙匡胤!

「軍人どもが力を持っていたから
戦乱が続いたのだ!」

彼は、殺伐とした国を平和にしていく。
教員のように、皆に教えて諭す…。
宋は『文治主義』を取ります。
軍人より官僚のほうがエライ!
そんな国になります。

◆1100年頃:北から追われて「南宋」に

宋は、軍事力が弱かった。
周辺諸国から脅かされていきます。
特に北方の「遼」という国が危険だった。

敵の敵は味方。毒を以て毒を制す!
宋は「金」という国と結び、遼を滅ぼした。
その後、遼の残党と組んで、金を倒そうとする。
この企みが察知された。
1127年、金の攻撃で都の開封が陥落。
皇帝と元皇帝が拉致されてしまうのでした。

皇帝の弟は、南で国を立て直す。

北は「金」、南は「南宋」。南北分裂。
この南宋と貿易を行ったのが平清盛。
人呼んで「日宋貿易」でした。

◆1200年頃:モンゴル帝国と元朝

日本で鎌倉幕府ができた頃、
モンゴル高原が統一されています。
そう、チンギス・ハン!
ゆえに「チンギス・ハンは
実は源義経の変名なのだ!」という
トンデモ話まで創作されることになる。

モンゴル帝国が広がっていく。
彼の末裔が中国につくったのが「元」。

◆1300年頃:南宋滅ぼし日本を攻める

「元寇」が起きます。蒙古襲来!

二回目の「弘安の役」は1281年。
この少し前、1279年に南宋が滅亡。
日本に攻めてきたのは元軍だけでなく、
高麗軍・旧南宋軍も加わっていたのです。

鎌倉幕府は元寇を退けたものの、
恩賞の領地がなく、衰える。
日本襲撃が失敗に終わった元も衰える。
1368年、滅亡。

◆1400年頃:北京爆誕

元の次は、明(みん)です。

朱元璋という人が南から元を滅ぼしました。
貧農の出身。
日本史で言えば信長・秀吉・家康の役割を
全部担ったような、怪物レベルの英雄です。

この明の三代目が永楽帝。1402年に即位!

甥である二代目皇帝に北から反旗を翻し、
実力で帝位を奪い取った。
本拠地の北平を「北京順天府」に改名。
これが今の北京、ペキン。
この明と「勘合貿易(日明貿易)」を
行ったのが、1392年「イザクニまとめる」で
南北朝の合一を行った足利義満なのでした。

◆1500年頃:北虜南倭に悩む明

日本は1467年「応仁の乱」で
戦国時代に突入、統制が効かない。
「倭寇」たちの海賊行為が頻発します。

明は、倭寇と北からの遊牧民襲来に悩んだ。
人呼んで『北虜南倭』です。

ただ「倭寇」とは呼ばれますが、
明が取った「対外貿易禁止政策」により
日明貿易に携わっていた商人たちが
海賊化したケースも多かったとか…。

◆1600年頃:秀吉の挑戦、明から清へ

1572年、わずか10歳で
「万暦帝」が明の皇帝に即位。
1620年まで、50年近くも帝位にあった。
日本史では1573年「室町幕府滅亡」の前年。

この万暦帝時代の明に、挑戦した男がいる!

戦国日本を統一した豊臣秀吉です。
日本では「文禄・慶長の役」ですが、
朝鮮側では「壬辰倭乱」「丁酉倭乱」と呼ぶ。
倭寇の親玉が攻めてきた、という感じですね。
明でも同じような認識だったことでしょう。

この出兵が失敗に終わった。
日本では豊臣家が衰亡し、家康が天下を握る。
朝鮮に援軍を出した明もダメージが深く、
1644年には滅亡…。

女真族の「清」王朝が後を継ぐのです。

最後に、まとめます。

本記事では「中国王朝史」を
日本史と絡めて、かいつまんで書きました。
「隋・唐~五代十国~宋~元~明~清」。
無理やり、自分なりにまとめました。

ぜひ読者の皆様も、興味のありそうな時代を
調べて書いてみてはいかがでしょう?
書くたびに新たな発見がある、と思います。

※学習漫画で読むのも、ありですね。

※先日投稿した『100年ごとの日本史』
ぜひ合わせてお読みください!↓

※歴史学習漫画の鬼才、ムロタニツネ象さんと
「歴史を漫画する」ことの是非については
こちらの記事も、ぜひ↓

合わせてぜひどうぞ!

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